アメリカと左翼の消滅

1.
60年代のヒッピーの運動の中で展開した資本主義批判とはそこで見られる傾向性として、それは人間性についての原始回帰的なプレモダン性というのを、最新の物質文明的な科学的テクノロジーと融合させることによって、新しい文化的な世界像を創造しようという態度だったといえる。当時のヒッピーの中で支持された、サンフランシスコ出身のラテン系ギタリスト、サンタナの曲のコンセプトでいえば、それは「FUTURE=PRIMITIVE」といった観念にあたるものだ。

ここで問題になるのは、資本主義的な疎外された労働を告発して逃れ、解放的であることを目指す運動体の形態というのが、何故、ヨーロッパではアウトノミアのような形態をとり、アメリカではヒッピーのような形態として、そのタイプが二つに分かれて出てきたのか、ということなのだ。

2.

単純にアウトノミア的なものというのが左翼主義の系譜を継承するものだったのに対して、アメリカで発生したヒッピーというのは、むしろプリミティブな人間性への回帰というのを最新の科学的テクノロジーとのコンビネーションによって実現しようとしていた。

アウトノミアが左翼共産主義の流れを汲むものとして、唯物論的な思考や階級闘争史観に影響されながら共同体を構成するのに対して、ヒッピーのもっている志向とは、コミューンとしてもそれは宗教的共同体の構成に近いものであり、特にそこで顕著に見られる現象とはオカルト的なものへの志向である。オカルト的な発想に科学的な装いをつけて肯定させることや、常にそこでも宇宙論的に自らの存在論が問い直されているにしろ、それはUFOの存在への信仰やそのようなUFO的な超越性の到来によって終末論的世界像を乗り越えようとする宗教的オカルティズムがそのまま矮小化された形で乗り移っていたりする。

それらが反体制的な集団性として実態として実在するという事実とは、ドラッグの使用と彼らの持っているその思想的な考え方にも一定の現象としては見られる。ドラッグについての啓蒙主義的な態度というのを、彼らは傾向としてよく取りうるものなのだ。それはヒッピーもアウトノミアにも頻繁に活用されて、特にドラッグの規制・禁止にまつわる国家的法制度に対しては、闘争的で挑発的であるという傾向性が存在している。そこではドラッグの使用にまつわる人間の共同体的慣習の歴史について一定の問題構成圏が出来上がっている。

アウトノミアの場合は唯物論的な科学性に基づいてそのような使用や主張を行うのに対して(例えばフロイトもコカインの常習者だったという事実なども含めて、それらはドラッグの唯物論的で身体論的な活用の過程にあたるのだが)、ヒッピーにとってはオカルト的な超越性の根拠としてドラッグを神秘的な自分たちの源泉にしている。

3.

例えばオウム真理教やラエル(最近クローン人間の制作に成功したと発表してマスコミに出たことがあるので知られる。スイスのカルト教団。しかし信者数は日本に多い)、パナウェーブのようなカルト宗教型の社会集団というのは、明らかにヒッピーカルチャーの延長線上に出てきたものだ。昔のヒッピーたちの生き残りというのが、そのようなカルト教団を結果的に形成し、過去のライフスタイルを維持しながら今ではそのような反体制的集団の姿になって持続しているのだという見方もできる。

ヒッピーが最初に総合的な文化ムーブメントとして、解放主義的な大きな流れのうねりを伴いながら、60年代にアメリカで立ち上がってきたとき、そこには多様な勢力が入り混じってきた。ビートニクスのような文学的運動、詩の朗読のスタイルから、新しい音楽のスタイルとしてのロック、そして当時まだアメリカでも一定の勢力が認められうる新左翼運動(「いちご白書」というセンチメンタルでノスタルジックな学生運動を題材にした映画の中にはアメリカの大学構内に毛沢東の顔写真が掲げられているのが出てくる)、そしてベトナム反戦運動の流れなどである。ヒッピームーブメントの最大ピークと考えられるのは67年、ウッドストックの野外コンサートである。それは映画化されることによって後にヒッピーについて伝承し伝説化されるような素材となり一大モニュメントとなったものだ。

それ以後はいわばヒッピー以後の流れ、ヒッピーとして集まってきた人々のその後の人生の流れとして、祭りの後的な社会の拡散状況として、それらは過去の巨大な祝祭の記憶としてのみ、社会の中には融け込んで残ったのだ。60年代の後半に解放主義的な勢いに乗り、労働も学校も放棄して集まってきた大量の若者たちは、その後、様々な形で再び社会に吸収されていくなり、あるいは反体制、反社会として、独自にマイナーに人生を持続するものなど、散り散りになって分岐したのだ。

4.

ヒッピーとは左翼運動だったのだろうか。曖昧で多様な幾つもの解放主義的運動が潮のように渦をなして集まってきたことを考えればそれ自体の中には統一的なロジックを見出すことはできないだろう。ただ曖昧に、若者たちが自分たちの束縛的な生活に反抗してさまよい出てきては集まってきたものだった。そこには最初は新左翼もいたとはいえ、結果的にそこから新しい左翼運動のスタイルがアメリカから起こってきたとはいいがいたいものがある。むしろ単なる世捨て人となってしまったヒッピー達というのは、その後も集団的な生活を維持するにしても、左翼運動というよりは、宗教的なコミューンのほうへと赴いていった傾向が大きいのである。ヒッピーの残党たちは一部は宗教化し、都会を捨てて自然の田舎に移動し、そこでコミューン生活なり、新宗教を立ち上げることによってカルト化していった。

かつてヒッピーだったものたちの中でその後、一般社会の中に社会復帰を果たしたものでは、たとえばコンピューターの技術開発者として、後のアップルコンピューターやマイクロソフト社の基礎をなすような発明をしたものもいる。技術的な機械の発明的分野では、このような元ヒッピー系の人間たちの創造性豊かで自由な発想というのが、その後の情報資本主義の分野でも多いに取り入れられて成功したものだった。ヒッピーの登場とは、アメリカの歴史の中でも画期的に大きな事件であったのだ。

資本主義批判、文明批判という出発点からはじまって、アウトノミアは左翼的な共同体の構成(それは都市の空間などにスクワッターとして場所を確保し、そこでコミュニティを構成するのを主とするだろう)、ヒッピーは自然主義志向として山奥や田舎のような場所を求めては、そこで宗教的なコミューンを構成しようとする。

ヒッピーは最新の科学的テクノロジーに関心があり科学性の中にSF的な終末論やメシア主義のビジョンをナルシスティックにも投影しようとするものなのだが、ヒッピーがサイエンスを媒介にしてむしろ意図するものとは、人間性にとってのもっとも古典的で原始的なる部族主義的な共同体の構成、性的に奔放で解放主義であるのと同時に家父長権的な原始的なセクシャリティの掟意識によって構成しようとする最も単純な共同体のイメージである。