マイケル・ジャクソンの場合の明暗

1.
マイケル・ジャクソンがMTVでヒットさせた代表的なるビデオクリップの「スリラー」を思い起こしてみよう。ビデオクリップは短くて単純な物語構成が施されている物だ。マイケルは(まだ若々しい表情をしている。もちろん整形手術の以前かそれかそれは全く目立たない)アメリカ人の普通の若者というのがしていると全く同じように(たぶん土曜日の夜だろうか)自分の磨きをかけた愛車を駆り出してガールフレンドを誘いにいく。デートで映画でも見に行くという約束なのだ。

車を夜道に爽快に走らせる愉しげなカップルはホラー映画の上映を観に行く。それは凡庸で退屈な映画だったが、カップルは車の中からポップコーンを頬張りながら映画を鑑賞した。退屈であるがそれなりに面白くもあった映画について微妙な余韻を残しながら二人は車で帰路についた。しかし途中で不気味で殺風景な町並みに出くわしたのだ。どうしたのだろう。車は道を間違えたのだろうか。

エンジンもきかなくなり怪しげな空気に飲み込まれたと思いきや、車が動かなくなった場所とはゾンビの巣だったのだ。道路の底の地中からは次から次へと顔もからだも崩れて腐り果てた死者の亡霊たちが湧き出てくる。大慌てで二人は車も乗り捨てて逃げ出すのだが、とても彼らを追いかけてまとわりつくゾンビ達の大量の群れには敵わないのだ。ガールフレンドは狂乱して取り乱し何処までも逃げようとしてマイケルの手を強引に引っ張る。しかし彼女がそこで気がつくのは、いつの間にかマイケル自身もゾンビと同じ姿をしているということだった。

彼女の絶叫は更に突き抜けんばかりに深く放出されて、こんどは彼女は一人になって一生懸命そこから脱出を試みる。逃げても逃げても地面の下からも逃げ足を引っ張ろうと地中を突き抜けてゾンビの腐った力強い腕が飛び出してはその足を掴む。絶体絶命の彼女だが、そこにはもはやゾンビと化したマイケルが先頭に立つ無限の数のゾンビの群れが、刻一刻と彼女のカラダに触れようと、集団で決まった振り付けのダンスを踊りながら近づいて来る。

絶対的な危機一髪のところで彼女の肩には別の方角から優しい手が触れた。それは愛車の中で余裕気にハンドル片手に、青ざめて冷や汗をかいて眠り込んでいた彼女に介抱の手を指しだしたマイケルだった。どうしたの?もう家に着いたよ。そうだ。ゾンビはみんな夢だったのだ。彼女は安堵する。しかしそれにしては変な夢を見たものだと妙なしこりを残しつつも、いつもの優しい彼の手に導かれて自宅の部屋に入った。平凡で無事なるアメリカの週末の一日が終了したのだ。彼女を安全に部屋に送り届けたマイケルは最後にカメラに向かってドア越しにチラリと振り向く。しかしそのときマイケルの顔はあのゾンビの顔で悪魔の微笑を携えていた。

2.
マイケル・ジャクソンの飽くなき征服欲望とはどこまでも天井知らずに進む。そして彼の場合その大抵のものを手に入れるに成功しているようにも傍目には見えた。マイケル・ジャクソンはビジネスにも手を伸ばした。ビートルズの版権の買収に成功する。ビートルズの版権とはただそれを所有しているだけで半永久的に多額の印税が入って来るものだ。同時にそれは音楽業界でのシンボリックな支配性を打ち立てる象徴的な行為でもある。

スーパースター化の自己同一の実現の次にはビジネスとしても成功し、彼は自分の王国としての自家用遊園地まで作り出すに至った。『NEVERLAND』(あり得ない国)と命名されたその王国とは敷地だけで千代田区に匹敵する規模を持つ。そこでマイケルは完全なる自己の幻想世界を完成させようとしていた。マイケルは資本主義的な成功を経て実現された現代社会における神の一人であり、マイケルのそのような妄想世界を許す自由もアメリカ社会では合法的であった。(少年事件の逮捕になるまでは)

ジャクソンファミリーでの成功者の話であるが、マイケルが最大の所得及び有名人的な成功を収めたのと、マイケルのその下の妹のジャネット・ジャクソンも音楽界では大きな成功を収めている。マイケルの他の兄弟たち、マイケルの兄達はどうなったのかというと、ジャーメイ・ジャクソンのように少しだけ一時期にヒットを出せたものもいたが、結局いずれも出世、成功という点からいえばどれもマイケルにはとても敵うものではなかった。マイケルはファミリーの中で最大の勝利者であったのだ。

そのようにマイケルに勝利への飽くなき闘争心を燃やし続けていたものが、何か幼少期からのコンプレックスや自己への後ろめたさでもありえるのだろうが、マイケルの上昇への意志というのは、何処までも飛び続けていたように見える。少なくともマイケルは誰よりも勝利したのだ。少年時代の自分にはとても疎遠に見えていたブラザーたちの性的世界に対して。夜中の寝室の薄明かりの中で屹立していた何本もの大きな黒いペニスの光景に対して。

それでもまだ何かが足りない、何かが欠けている?だから自分の顔を白く塗りたくった。鼻の形や顎の輪郭も何回も変形を加えた。マイケルが結婚するのはいつも白人の女性だった。でもそれでもまだマイケルには何かが物足りない。何かが欠如しているのだろうか。自分の王国も手に入れた。そこでは好きなようにあらゆる彼の妄想が可能だ。あらゆる彼の想像を許せる。

マイケルは恵まれない世界中の子供たちを救うための慈善団体を立ち上げた。自分で多額の財産も投げ打って。マイケルは不幸な少年たちのもとへと積極的に自ら会いに行った。貧乏で不幸な少年を自分が救ってやるために。彼らのことを癒してやるために。何故ならマイケルはこの世のメシアでもあるのだから。この病に満ちみちた世界に癒しを与えてやることが、何よりもマイケルの使命なのだから。heal the world…

3.
マイケル・ジャクソンが少年に求めているものとは何だろう。彼は自分でチャリティに赴き団体も立ち上げ社会福祉活動としての立派な実績もちゃんと残している。同時にその建前を口実にして隠れ蓑にし、越権行為として彼はそこで新しい自分の交際相手としての少年を物色して探し当てるための場所でもあった。それら行為の全体において、マイケルにとっての愛の形であり愛の探求でもあった。だからマイケル自身にはそこには自発的には罪の意識は訪れることもなかったろう。

実際マイケルと交渉した少年の中でも本当にマイケルに恨みを持っているものがどの程度にいるのかも定かではない。もちろんそのような人々も確実にあるのだろうという事も前提にして、後でマイケルを訴えてくる層というのは、一部マスコミでも言われているようにマイケルに賠償を求めることによって金銭目的である事もありえる。そのようなトラブルが起きるたびにマイケル側からも裏交渉は行われて、あるいは一部の説では脅しによる口封じもあるとかいう話もある。その半面マイケルを擁護しマイケルに感謝している少年の層というのも確実にいる。

マイケルは少年と愛を交わすことを高尚で崇高なる人間的行為だと信じているのだろう。世間的な常識とは対立しても彼は頑なに自分のその性質の中に居続けようとするのだ。しかしマイケルは何故だかそこのポイントについてはブラインドで自分では疑う事が出来ない。おそらく彼の心理的防衛機制の構造というのが、そこから先に自己検閲を踏み入れることはヒステリックにシャットアウトしてしまう。マイケルが愛の伝道師として、新しく生まれいずる少年たちのイノセントな白紙としての生について、彼らに自分が啓蒙できると思い込んでいる内容とは何が起源になっているのか。

4.
むしろマイケルは彼の共犯者を作りたがっているようにも見える。自分が幼少に受けたこと(本当は性的虐待にも当たる)と同じものを、新しい人間にも伝承して与えてやる。いわばそのとき秘教的にマイケルの洗礼を受けた少年たちというのはマイケルの仲間になるのと同時にマイケルの共犯者にもなるのだ。

ソドミーの秘密の性の味とは隠されているのと同時に未来の人間に向けても秘教的に伝承されなければならないものだ。そしてソドムの恋の味の中には少しばかりの糞の味も混じっている。この秘密の恋の快楽をマイケルは新しい人達に伝えなければならない。それがマイケル自身の絶対的な孤独を慰めることにつながる。自分と同じ人種の人々を自分で再生産することによってマイケルは自分自身の孤独の記憶の起源にある絶対的な狂気から逃れて癒されることができる。孤独を癒せるとは自分の共犯者を再生産させることでもあるのだ。しかし今回の逮捕でマイケル自身の独我論とは強制的に外部から殻をはじかれた。マイケルの人生のスタイルとはこれから公開的な裁判によって公に審議されることになっている。