昔、書いたものを

取り敢えず、HPにアップした。(CrossRoadsProject)これは僕が大体98年頃に書いていた論考の原稿だ。逃走と幻想−純粋ナルシズム批判−という一連の論考。そのままずうっと放って置いた。いつか書き直そうとは思いつついたのだが、どうにも。やっぱり元の書き方が悪いからか、いつまでたっても積極的に直す気が起きない。しょうがないから強引にwebにアップした。こうすればどうしても(ひと)目に付き、直さざる得ない文章の部分というのを発見できるだろうかと。

しかしこの論考はもう昔に書いていたものなので、今の僕の考え方とは相当に変わっている。はっきりいって修正すべし場所は多いのだ。まず98年当時のことだが、左翼主義的に扇動的な文章表現の部分、コミュニズム的な扇動を肯定するような部分を修正したいと思っている。加えてこれではまるで反ナルシズム啓蒙のような強引で病的な疑いがもてる。しかし僕はそういうものは否定したい。これから時間をかけて直していくつもり。文章が直截的に詩的表現でそれらが不明瞭に混じっているといった傾向については、どうも後からも直しようがない気がするのであんまりいじれないだろうとは思うが。

この時期から今にかけて僕はNAMやだめ連と関わった経験を経ている。その中で明瞭に変化したものというのはコミュニズムについての批判的な経験である。もはや僕はコミュニズムについてそう容易い言及は出来ないだろう。本質的な絶望をそこで確実なものとして体験した。前に他のところで書いたが、僕が見出したものとは純粋リベラリズムというコンセプトである。ただ単純に自由主義であるという事。単純なものが真理であり得るというのは、自由という概念についてしか当てはまらないのだろう。