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地下鉄を軽く短時間で幾つか乗り継いだらアートン校の場所についた。それは、マンハッタンの慌ただしい一角でビジネスライクな街の真ん中にあるような場所に建っているビルディングだった。地下鉄の出口から上がっていくと出てきた所にちょうど大学の校舎が建っている。大学と云ってもビルディングだけが丸ごとそこで学校となり他には何も付属した施設はない。都会の中に立つ施設であってニューヨーク市立大学ではそこが古くからある分校の一つとして機能しているという。都心部、そしてビジネス街にあってその隙間にあるような一角に同時に学校の建物がたっている。こういうシチュエーションを東京で思い出せば、例えば御茶ノ水駅から少し歩いていって突き当たる明治大学の校舎とか、日大の校舎とか、飯田橋から市ヶ谷の間を歩いていくとある法政大学の校舎とか、そんな感じで大学の校舎とは都心部の中で狭い敷地を利用しながらもよく立っている。しかし場所としては奇妙に有名であるらしい、そこは昔からある種の拠点的な目印として機能しているというアートン校という場所は、とてもそんな巨大な数の学生を収容するような規模の建物ではなく、むしろ都心部の合間に日本で見受けられる受験予備校程度の規模の大きさだったというものである。学生たちが忙しげな様子でロビーのガラスのエントランスから頻繁に出入りしている。ただそこで若い人間たちが入れ替わっていくスピードの速さだけが印象的であるようなエントランスである。そして教授や研究者風という様々な年齢に井出達の人間がガラスのエントランスに吸収されては吐き出されていくようだ。そんな忙しい入り口の傍らに立つ地下鉄の所で飯塚くんと合流した。