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飯塚くんが待っているというニューヨーク市立大学の分校であるアートン校という場所へ向かった。途中、両側に商店の多く立ち並ぶ古くから続くストリートのような所を歩いていたら、表にコートやジャンパーの売り物を並べている衣料品店があった。路上の方に並んだ商品を手にとって見て付いている値段のカードを見比べながら、今まで寒くてしょうがない中をニューヨークの街で僕は歩いてきたが、手頃な安さのコート、ジャンパー類が並んでいるようなので、ここでいいのを見つけて買っておこうと、立ち止まった。少し物色してみてベージュ色の厚そうなコートが49ドルで出ているのが手頃かと考えた。これ着て歩けば不安定に寒さが襲ってくるこの街でもきっと暖かいだろう。商品を取り出して店の中へ入り持って行くと、そこにいたのはインド系のような浅黒い顔をした店主だった。お金を渡し商品をもらうと店を出てすぐ、歩き出した僕は、歩きながら袋からコートを取り出し着ている黒い革ジャンの上にまたそのコートを羽織った。ここまで二重の重装備をすればもう天国のように暖かいものだ。冷たい風が吹き抜けるマンハッタンのストリートを歩いていてもびくともしないほどに、頼もしく暖かい厚手のコートだった。結構重くてがっちり設計されている。そのコートは49ドルの廉価品だった。着るもので武装するだけで同じ歩いてる道の感触がこうも違うのかというくらい、見違えてストリートの景色も楽観的に目には映る。街にあったちょっとした個人経営の衣料品店で店の親父は中東系の浅黒い男だった。店自体は特に新しい様子もなくもう何年もそこで営業してるといった様子だろうか。でも衣料品店といっても何か垢抜けない感じの地味な店だったわけで、日本の町並みでもそういう店に入ると大抵爺さん婆さんが出てきて地味に長くやっているという店だが、あの浅黒い親父はやっぱり移民なんだろうか。移民であってもたとえ地味であってもマンハッタンの商店街で自分の店が小さくても持てるなんて、きっとそれなりに幸せじゃないか。49ドルというベージュ色した頑丈そうなコートがこちらの値段感覚で安いのか高いのかもよくわからないが、とりあえずやっぱりニューヨークとは豊かな街なのだ。路傍の庶民のレベルでも特に金を持ってなくても道を歩いているとそれなりの満足に出会えるではないか。小さな満足だが僥倖な満足なんだ。偉大な街の条件というのはみんな、貧しい者に対しても便利に開かれている窓口を備えた街のことなのだ。