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究極さんが今日の予定を話してくれた。

「まず。一つは、飯塚くんがかつて留学していたニューヨーク市立大学の校舎があるアートン校というところに遊びに行こうということ」
「へー。」
「そして今日はアイリッシュ系移民たちの伝統的祭りであるセントパトリックデイというお祭りのある日みたいで、それを見に行きたいということ。その後で今夜の宿は村田さんの所に泊まれるよ」
「ふーん。ニューヨークでアイリッシュの祭かね」

ベトナム料理屋で僕はカレー粉の入ったベトナム風ラーメンのようなものを食べていた。究極さんはベトナム風の春巻料理のようなものを食べていた。

「正確に言えばこれをラーメンと呼ぶべきではないよ」
僕は言った。
「似たような麺はベトナムではフォーと呼ぶ。しかしこの熱いスープに入った麺を食べてみると、日本で食べた記憶にある限り、ベトナムのフォーとは相当にスープがあっさりしているものだが、ここのはどうも濃厚なスープだな。そこにカレー粉でアレンジしてあるね。これをラーメンと呼んでしまうのは日本的慣習には違いない」

「ほー。そうなんだ」

究極さんは春巻きを口にくわえながら言った。

「それで。体調の方はどうなの?」

「僕は昨夜一晩ホテルに篭って風邪気味のからだと戦ったわけだが。。。どうもニューヨークに着いてから根本的に疲労してしまったみたいで、しかも相変わらず寒さのグレードに自分の簡素な服装がついていけないや。少し散歩してみても目眩がするようだった。」

せっかくメニューの写真では美味そうに見えているベトナム麺でも、いざ口に入れてみるとすぐに胃にもたれてしまい、やがて箸が動かなくなってしまった。究極さんの方は元気なもので、寒い風の中でニューヨークの街を散歩しているうちに、意識も体もシラフに戻ってきたみたいだった。究極さんは昨日から興奮が持続していて特に疲労感のようなものは僕みたいに漂ってはいなかった。

「ねえ。マンハッタンの街を歩いてみて、圧倒的に元気がいいのはアジア系の看板だよね」

「かつてリトルイタリーと呼ばれ地図にそう表記してある町並みは、もはやショベルカーによって取り壊されてる最中で、大きな部分が更地にされているよ。」

「代わりに目立っているのは、漢字、タイ語ベトナム文字といった言語で掲げられたアジア系の看板ばかりだよな」

ベトナム麺を食べながら改めて気づいたことは、アメリカの飲食店の食事は、日本の店に比べてどこも量が多いということだった。

「これは胃にもたれるなあ。。。」

僕は箸をおいて悲鳴のように言った。

日本を出てからというもの、飛行機の中から異常な状態続きで弱っていた胃だが、ラーメンと似たものぐらいでもう弱音を吐きそうな軟らかい強度になってしまった。これは自分自身でも驚きだ。身体の衰弱が激しすぎる。

アメリカの食事というのはどこも日本食に比べたら油っこく刺激の強いものが多いよね」

「特にスープに使っているカレー粉だよ。胃の中に入ってからチクチク痛みを与えてるよ」

「スープの味などはアメリカの食事だとどれも濃く一様にコンソメの同じ味わいがベースになっているように思えてしまう。これがアメリカ人が納得する一様の味覚なんでしょう」

「大雑把だし画一的すぎるよ」

「肉料理だろうとスープだろうと麺類だろうと一貫して底に流れているアメリカ人用に顕著な画一性というものがそこには想定できるな」

「これがアメリカ的画一性というものの正体なのかい?」

僕はテーブルから遠ざかるように椅子の上でのけぞってしまった。