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また目が覚めたけれどもホテルの室内はもう明るくなっていた。古い木枠にガラスを張った重たい窓からは日の光が差し込んでいる。しかし目を開けても相変わらずこの室内には何もないことが確認されるのみだ。特に何の感慨も起きないが寂しい三月の朝には違いなかった。相変わらず体内の調子以外に確かめるべきものもない。自分は、ベッドの上で毛布を体に巻きながら、よく汗をかいているのに気づいた。これは体がよくなっている証拠だ。少なくとも上向きの体調に体が向かっている。この調子で前に進みたい。特に何も考えることもないし考えられることもない。動物的な快癒へと向かう道筋にある体にすぎないことで充分喜ばしい。それ以上何も望みたいとも思わない。しかしここはニューヨークの朝か…なんで自分はこんな所にいるのだろうか、やっぱり理解もできないが、とにかく体の調子は喜ばしい方向にむかっていると内在的に確かめられる。それだけ僥倖だった。病気からの治癒を身体が模索している過程で、こういう単純な状態に体も頭もある時、意識の中に生じるのは、どこまでも単純な意識であり、ただ前向きで喜ばしい生の予感さえ確認出来れば何でもよかった。朝の冷たくきらきらとする光の中で、頭の中には単純な音楽が鳴っていた。スザンヌ・ヴェガのルカが鳴っていた。それだけ響いている頭と体の仲だった。昨夜の鈍い体調の悪さと発熱からは単純な回復の途上に、一本道の上のように、ただただ単純に立っているだけだ。スザンヌ・ヴェガのルカの音楽が頭の中だけで勝手に反復している。それはそういう状態の身体には最も相応しい曲だったのかもしれない。単純で力強い反復の底では、ぼんやりとした思考の萌芽のようなものが、ベッドで毛布をかぶった体の中で微かに生じてきた。スザンヌ・ヴェガは、大学をやめ、仏教徒になった女の人だ。スザンヌ・ヴェガは、しかし何故、仏教徒になったのだろうか?ルカとはキリスト教的な人物の名前であり、使徒の一人だった。それからもわかるように、元から彼女は宗教的な思考をする人物でもあったのだ。しかし彼女は、ニューヨーク市でずっと育った生い立ちだが、キリスト教を棄てた。彼女はきっとキリスト教が嫌いだったのだ。しかしそれは何故だろうか。