7-5

バスは進行する。夕暮れに差し掛かるマンハッタン。昼の温もりは束の間のもので、またきつく刺さるような寒さが繰り返してきそうな気配が空から降りてきているのがわかる。しかしマンハッタンという街に巣食う無数の人間たちの活気がそれを跳ね返すのか否かということだ。マンハッタンに辿り着いたばかりの僕らには、その辺の力学関係のことは、まだよく分からない。自然の冷たさと人間の集団化してあることの戦いとはどういう均衡関係を取り持つのかということだ。一個の街という地勢学にとって。セントラルパークを横切りながら、脇にはハーレム地区へと続く大きな通りがあった。西洋的な石造りの建物が並ぶバーや商店の群が見えるが、それらは古びていて賑わっているのか寂れているのか判断しかねるような、静かで不気味な佇まいが、ハーレムの入口には見出された。人の姿もいるのかいないのかはっきりしない。怖いといえばそれは怖そうな街かもしれない。

「そろそろ今夜の宿は決まったかい?」

ずっとニューヨーク情報だけが詰まった本を調べていた究極Q太郎に言った。
「うん。今夜の宿はね。コロンビア大学の裏辺りがいいと思うんだけど」
「えっ。このまままっすぐバスが走っていくとコロンビア大学までいくのかい」
究極さんはこくりと肯いた。
コロンビア大学かぁ。なんか知ってる日本人とかに出食わしそうだね」
「出食わしたらどうするの?」
「まぁ笑って誤魔化すとか。何とかなるでしょう」

そう言って、二人でにやにや顔を見合わせたが、なんだか楽観的な気持ちが開けてきた。この空の冷え込みなどなんとでもなりそうな。灰色の空だがまだ明るみも残っている下で、僕らはバスを降りた。マンハッタン中央部にある街の喧騒からは隔たった落ち着きのある地区だった。ストリートの間隔もそこでは広々と感じる。

コロンビア大学があるくらいだいから、マンハッタンの北部分は、文教地区みたいなものなのかな」
「なんかそんな空気がするね」
「南が金融地区で、中央が繁華街だった。それで北が山の手にあたっているのか。なるほどねぇ・・・」

マップを確認しながら究極さんがビルを探した。普通のアパートメントとも見間違えてしまうようだが、それらしいホテルの古いアパートメントを見つけた。マンハッタンでこういったビルというのは建築が古く、19世紀のビルを今でも改装しながらそのまま使っているようなものが多く、普通のアパートメントとホテルもなかなか見分けがつかないのだ。古そうなホテルのビルだが、安ければまあよかろうということだ。僕らにとっては。人気のない狭いフロントに入った。フロントの男と交渉し、一番安そうな部屋をたずね、40ドルぐらいで了解した。狭くて何もないようなフロントだったが、古びたソファがあって、上にはテレビが釣り下がり、CNNのニュースを延々と流していた。髭を生やしバイトのようなラフな格好をして、普段着にジャンパーをひっかけただけのフロントマンだった。交渉が終わり、古くて重たそうに動くエレベーターで移動して部屋を確認し、僕らは荷物を置いた。ベッド以外には何もない、シンプルというか粗末な古い部屋だったが、まあ安ければそれでよいかと。あとは寒さがしのげればいいのだ。それだけのことだ。村田さんと合流した飯塚くんと一緒にこれからディナーをとる予定なので、荷物を置いたらすぐ出ようという事だった。一階のフロントに再び下りてきて、究極さんがホテルの電話を借りて、村田さんの携帯電話へと連絡を取っている。

僕は、古びたソファに座り、伸び伸びと休みながら、天井から吊り下げられているテレビのニュース映像を眺めていた。それはイラクで米軍の空爆が激化しているという実況中継だった。そうだ。僕らはイラク戦争開戦のちょうど一年目にあたるというこの週に、それでセキュリティ上の配慮から明らかに人気がなく、格安になっていた航空券を買って、ニューヨークまで出てきていたのだ。テレビの映像は、ただひたすら暗闇の姿を映し出していて、黒い空間の中に、絶え間なく細かい閃光が放っているというものだった。イラクで戦闘中の映像なのだ。アナウンサーは何かずっとよく聞き取れない英語を喋り続けている。テレビの画面はひたすら暗闇を映し続ける。時折大きな閃光もひらめく。爆撃の音はかすかに響き続ける。ちっぽけで人気ないホテルのフロアにも、連動してイラクから中継されてきた爆撃の音が、かすかに響き続けていた。それにしても静かなホテルだ。そして古いホテルだった。幽霊でも出るとしたらまさにこういうホテルのことではないのか。僕は、ソファに重たく背中を預けて埋まり、究極Q太郎を待ちながら、そんな気分になった。