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村田さんの住むアパートの部屋は、中に入るとリビングが、日本ならば十畳以上の広さはあるだろうという位に広がり、壁は白く床はフローリングでつるつる輝いており、しかもそのリビングの中には家具らしいものは最小限しか置いていなかった。奥にはキッチンと冷蔵庫が並び、小さなテーブルがあるだけで、そこから窓際まで殆ど家具らしいものは置かず、広々とした空間をそのまんまたんまりと使っていた。ここで何かダンスの練習やヨガの練習でも数人でやろうと思えばできるような、ふんだんな空間の使い方だった。フローリングで光る床の上には、ところどころソファクッションやら、小さな椅子だけそのままが自由自在に放り置かれており、窓際には少々大きめのテレビジョンのボディが床にそのまんま直接置かれていた。テレビジョンの画面は光を放っており、ニューヨークのローカルなニュースかバラエティショーのようなものをやっていた。床に置かれて光を放ち続けるテレビに対して、椅子だけを近くまで持ち出し、椅子の背もたれに向けて逆に跨ぐように座り、背もたれの上に両肘をついている赤いシャツにジーンズをはいている男がマイクだった。黒いテレビジョンのボディは日本でもよく売られ出回っているのと同じような函体だった。少し古めで大きいテレビではあるが持ち運ぶには重そうな型だ。最近のテレビは本体自体がスタイリッシュで軽いものの方がよく出ているので、日本でもここでも多分これは少し古めでワンサイクル前によく出ていたテレビだろうという気がした。

「これ、駅前で買ってきたフライドチキンなんですけど、一緒に食べませんか」

黒縁の眼鏡をかけてテレビを見ていたマイクに話しかけた。

「あー。ポパイのフライドチキンね」

そういえば駅前で僕らの入ったフライドチキンのチェーン店には前に、ポパイの絵の入った看板が垂れていた。あの店の名前はたぶんポパイというのだろう。

「ポパイのフライドチキンか・・・ぼくはいいや・・・君たちで食べてよ」

マイクは僕たちに振り向いて言った。日系人だという彼は優男の顔つきをしていて、穏やかでありがらもユーモラスな男だった。

「そうすか?じゃあ頂きますね」

床に落ちていたソファクッションを一つ引き寄せ尻の下に置き、床の上でフライドチキンのパックを開けて食べ始めた。村田さんは僕らをここへ案内したらすぐに忙しそうにしながら、マンハッタンにあるという彼女の職場に向かって出て行った。しばらくマイクと雑談をしていた。マイクの日本語はとても流暢だが、日本に住んだことはないと言う。田舎は広島県だといっていた。しかし育ちはずっとロサンゼルスであるらしい。マックを使ってグラフィックデザイナーの仕事をやっているという。この部屋は村田さんともう一人の日本人女性と三人でルームシェアして借りている。僕と究極さんはポパイのフライドチキンというパッケージを突いて食べながらマイクの話を聞いた。たしかにアメリカの文化にとってフライドチキンは本場とはいえそんなに旨いと思えるようなフライドチキンではなかった。これに比べると同じアメリカ資本でもケンタッキーのフライドチキンというのはやっぱり遥かに完成度の高い味だということが分かった。僕はけっこう無理してそのフライドチキンを全部空にして終りにしようと腹に入れていた。マイクとは30分位交流して、そしてマイクは欠伸をしながら自分の部屋に戻った。薄いシャッターを被せてある部屋から通りに面した窓は大きく、外側のブルックリンの夜景の気配を、渋く静かに反映していた。そろそろ随分と疲れていた。部屋の灯りを最小限のレベルにして、ソファのクッションを頭にしき、そのまま寝るか物思いに耽るかという状態になっていた。ニューヨークの初日で長い一日は、僕らにとってそろそろ終ろうとしていた。十分に刺激的だったこの一日の余韻に浸りながら。眠気は静かに訪れていた。