5-2

駅から続く寒い夜道を並んで足早に歩きながら、村田さんが言ったことだ。

「私ねえ・・・悪いけど、これから一回仕事出なきゃいけないのよ」
「夜のお仕事?」

究極Q太郎が聞いた。

「うん。これから職場のバーに出なきゃいけないの。だから帰ってくるのは、私明日の朝になるから」
「なんだ。そうなんだ。どうも。悪いねえ。いきなりお邪魔しちゃって」
「うん。それは全然いいんだけど・・・そうだ。それで明日は飯塚がやって来るのよね」
「飯塚君とはもう待ち合わせしてあるの?」
「飯塚はね。うちのアパートに前来たことあるから。彼、もう場所は分かってるのよ」
村田さんは歩きながら振り返って、きりっとしながら言った。
「だから大丈夫」

まさに鉄条網といえる本当に厳重なアパートの鉄柵を潜って建物の中に入り、狭い階段を上りながら彼女は続けて説明をした。

「それで今はね。うちの部屋には、ルームメイトのマイクという男の人がいるから。今夜は彼とでも交流してちょうだいよ」
「ルームメイトって、アメリカ人なの?」
「ううん。彼は日系人よ。名前はマイクだけど見た目は日本人だし血筋もそのまんま完全な日本人なのよ」

そういって村田さんは三階に上った所の踊り場で部屋のドアに鍵を入れてあけた。ここの建物自体は古めかしくても部屋のドアというのは頑丈な鉄製で重い板だった。部屋の中に入ったらそこは思ったよりも全然広いスペースが開けていた。外見では古そうなアメリカ式の石と煉瓦を積み重ねたようなここはアパートメントだったが、中の室内は完全に現代的で広く、白くて清潔なイメージの室内が開けていた。建物自体は古くても、アメリカではそういう古い建物を何度も中身は改装して、常にリフォームしながら使い続けているというのが、普通なのだろう。例えばこれが建てられたのは19世紀か20世紀の初期ぐらいだったとしても、元々建物の造り自体は頑丈なので、中を何度も改装工事しながら使っていけば、室内としては現代的で最新式の生活を常に享受できるのだ。日本だと、これを見て、東大の駒場寮が取り壊された時のことを思い出した。駒場寮というのも、建てられたのは戦前で大正期かそこらで、当時としては東京で最もモダンな石造りの建造物だったが、あれはもう住居として人が住むには古すぎるという理由で、解体され撤去された。しかし、こういったアメリカ式の建造物を見ても分かるように、元が頑丈な石造りの建築とは、内部を定期的にリフォームして使っていけば、本来は100年でも200年でも軽く使えてしまう建造物なのだ。ここは、外見は古めかしくとも中の部屋はきりりとした清潔感に充ちていた。部屋の中に入りざっと見回してみた。

「広いね。この部屋」
「外見の感じとはえらい違いだ。これがアメリカ式生活なのかあ」
「ここは何部屋あるの?」
「3LDKね」
村田さんは答えた。
「たしかに日本だと同じ3LDKでもこんなに広い部屋はあんまりないでしょう」
アメリカ人の生活というのは、やっぱり空間の感覚が贅沢で、日本人とそこが全然違うんだなあ」

感心したように究極さんは言った。

僕らが部屋に入ったとき、一人の男性が窓際の椅子に座りテレビを眺めていた。

「これがマイクよ」

村田さんが紹介してくれた。

「どうも。今日日本から来ました。」

僕らも挨拶した。