ゲイリー・ニューマン再評価の流れについて

1.
ゲイリー・ニューマンは、70年代後半のロンドンの音楽シーンにおいて頭角を現し、チューブウェイアーミーというバンドでアルバムを発表した後に、ゲイリーニューマンのソロの名前で以後音楽活動が定着する。最もヒットしたのは、1979年に発表されたシングル曲の『CARS』であって、当時あったパンク、ニューウェイブ、テクノといった前衛的な音楽シーンにあって、記念碑的な作品となって、アルバム『PLEASURE PRINCIPLE』は成功を収めた。しかし以後は大きなヒットにも恵まれず、特徴的だった音楽のスタイルも特に変化がないままに80年代を終り、ゲイリーニューマンとは既に過去の人となっていた。

『PLEASURE PRINCIPLE』は衝撃的な作品だったが、ゲイリーニューマンの音楽性を紐解くと、それは基本的にデヴィッド・ボウイが70年代後半のベルリン時代と呼ばれた時代に発表していた数枚のアルバムに音楽性の起源を持つといえる。

デビッドボウイの『LOW』、『HEROES』といった70年代後期の革命的な到達点を刻印したアルバムは、ブライアン・イーノのアレンジによって構成され、デヴィッドボウイの芸術性では頂点にある作品になっている。ボウイとイーノによってここで到達されている音楽の次元を、そのまま抽象的に継承し、加工をしなおし、ベルリン時代の音楽としての質に更なる純粋化をかけ抽出した構造が、ゲイリーニューマンの80年前後の数枚の作品群に凝縮している。

2.
デヴィッドボウイとブライアンイーノにとって、彼らの芸術が極めた普遍性とは70年代後半のベルリン時代のものにある。このポイントがその後の歴史の中でも越えられることはない。

ゲイリーニューマンが加工したマテリアルとは、そこで水晶体のように透徹した音楽の抽象性を、もっと分かりやすいポップへと変換するものであった。これは結局ボウイによってもイーノによっても為されなかった仕事である。「ベルリン時代」のエッセンスを、翻訳し、大衆的な理解へと橋渡し、ポップな単位として解放し、変換したものが、ゲイリーニューマンの仕事であり、功績にあたっている。しかし単純な大衆化にはどうしても還元し切れない何かが、ゲイリーニューマンの音楽には独特の不純物としてやはり沈んでいたのだ。それが彼の結果的な孤立をもたらした。

文学的にはバロウズからディック、その後に発展したサイバーパンクの流れがベルリン時代に対応するものの、ゲイリーニューマン以降は、その研ぎ澄まされた世界も次の行き場には迷走する。それは、ゲイリーニューマン的な品位と貴族性の美学というよりも、むしろ地上の下方へと限りなく放下されたパンクスの世界へと、要素的に分解されていったものだ。

3.
以後は、ゲイリーニューマンの音楽世界とは孤立し、発展力を失い、過去の音楽としてしばらくの時間を氷結していたものといえる。独特だったゲイリーニューマンの音楽について、再び発見し、リサイクルを与えたものとは、90年代後半のマリリン・マンソンだった。マリリンマンソンは、ゲイリーニューマンの『Down in the Park』をカバーしライブで演じた。マリリンマンソンの発掘によって、欧米の前衛的なシーンで、再びゲイリーニューマンの評価が起こった。

79年当時はテクノポップからサイバーパンクといったジャンルで括られた、少々奇妙な意匠をまとったポップスといった感じで認識されていたゲイリーニューマンのアルバムだが、実はその完成度において、高度の抽象的思考が折り込まれている研ぎ澄まされたマテリアルであったことが、発見された。それはゲイリーニューマン的な思考の有り方である。

ゲイリーニューマン自身が意識していたのは、ウィリアムバロウズの小説を音楽化することであった。ニューマンが好んで扱ったモチーフとは、ロンドンの地下鉄のイメージを描写することである。そしてロンドンの地下鉄を使って深夜に会合される若者たちの集会のイメージ。

そこでは既に廃墟に近い都市的接合の荒廃した側面を、革命的な新しい結合を実現する可能性として魅惑的に捉え直す試みが為されている。幻影的で謎めいた革命のイメージを、都市的荒廃の中に見出している。

そして発表された『PLEASURE PRINCIPLE』は象徴的なアルバムとなった。ボウイとイーノのベルリン時代で到達している音楽の単位とは、ゲイリーニューマンに至っては純粋な快感原則として、音楽の単位が更に明晰な水晶体として示されている。

4.
純粋な快感原則の単位を音楽の力によって抽出すること。これがゲイリーニューマンの試みである。新しい音楽の単位とは、もはや大都市のイデオロギーから欺かれ汚染され、無意味な重りの鎖に翻弄され悩むこともない。軽くなった新しい革命分子の姿が、スピードの純粋な形としてここで示されているのだ。

ゲイリーニューマンにとって、それは純粋なナルシスと戯れることでもある。音楽の生成すべき平面を純粋な快感原則にこそ限定し、しかもそれが生成する舞台とは、大都市の裏面であり、都市的荒廃と隣り合わせになった地下鉄の連携によって生じている密かな交通のラインである。深夜に地下鉄で人間たちが密かな会合を果たすとき、そこでは純粋な快感原則の分有として、新しい革命のイメージが生成している。

革命の原則とは、そこではミクロに究められたところからそれ自体の全体性として大きくなり、労働にも人民にも革命とは属さず、地下鉄的な養分を吸い上げることによって、アンダーグラウンドサブカルチャーの動物的な覚醒が、新たな野生のメッセージとして、地上の世界へと断片化しながら送り込まれることになる。快感原則の純粋な抽出体を地下鉄を使って深夜に合成せよ。

5.
70年代末から80年代前半の時代において、ロンドンやニューヨークや東京が所有していた斬新なる前衛性の到達していた抽象能力のエッセンスとは、この時代において独特の到達点を持っており、それは90年代の後半から2000年代になってから再びその威力が発見されることになるものだ。

具体的には、ナイン・インチ・ネイルズが、ゲイリーニューマンを本格的に復活させたのだ。ナイン・インチ・ネイルズをはじめとして幾つかのインダストリアルパンクと接するバンドにとって、ゲイリーニューマンとはその起源の所にある音楽だった。そうとは意識されずともそれは既にゲイリーニューマンの意図していた試みとして彼らの発想と重なるところは多いのだ。

ゲイリーニューマンはそれに対して、普通のインダストリアル系よりは洗練されている。そして繊細な音楽であった。この繊細なテクノの神経系が触れて組織化した音楽の透徹した水晶体は、ナインインチネイルズの手にかかって、見事に息を吹き返した。

2009年にロンドンのステージで、ゲイリーニューマンはナインインチネイルズのライブに登場した。再生したゲイリーニューマンのイメージとは、以前よりもパワフルである。そして楽観的である。ゲイリーニューマンという起源の地点に立って、我々はもう一度大都市の崩壊していくサイバーパンク的な局面を、実践的に、芸術的に、イメージとして拾い直すことができる。ナインインチネイルズによって再生した、この力強い新しい『CARS』の轟を聴き、受け止めようではないか。