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ブルックリンでは仕事帰りの人々の流れに紛れて待合わせの駅へと降り立った。特にラッシュだったというのではないが、駅の階段を上って地上に出ると帰りの人々の流れはばらばらと四方に拡散していった。すぐに人の波とは消え寂しい郊外の駅前の姿となった。見上げたところには支線になっている駅の始まりのホームが宙に浮き上方に立っている。夜の街灯を浴びて暗く駅のホームだけが浮き上がっている。他にこの町の駅前には背の高いビルなど一つもなかった。駅の造りはやはり古めかしい感じがしてここの地下鉄路線同様の古さを醸し出している。昔に出来て昔のまんま昔からあるニューヨーク市の駅であり鉄道である。しかも日本の鉄道のように頻繁にそれが改装され建替えられているような気配もない。昔の建造物を昔ながらにずっと使い続けているといった感だ。だから時間の流れの変化も昔から特に大きな変化を受けていない、ここは全体的な町の造りとでもいおうか。日本の特に首都圏近郊のように頻繁に駅や町の建造物が、資本のスピードに合わせて建替えられているような環境の場合、その度に時代の移り変わりを意識することも激しいだろう。しかしもし町の駅舎が昔建てられたものからずっと変化しない場合、その町において時間が変化したという実感を持つようなこともきっと少なくなるのだ。郊外のベッドタウンといった感じの駅だが特に大きくはない。小じんまりとした小さな駅であるのだが、地下鉄の出口から出てきたとき黒人の男に声をかけられた。太った黒人男で外に長く立っているみたいで厚手のコートに身を包んでいた。

Woman?

そう言って僕らに目が合うと声をかけてきた。ポン引きだとすぐに分かる男で貫禄はないが大柄な男だった。どう見ても住宅街でしかないような静かな駅でも駅前に堂々と声をかけるポン引きがいるという環境は、日本では珍しいと思った。ちょっと大きな商店街や繁華街が隣接した郊外の駅ならば、キャバクラなどのポン引きが声をかけてくるということは日本の町でもよくあることだが、この露骨な物言いは、売春の斡旋をいきなり持ちかけているのだろうから、こういう直接性はちょっと日本では珍しいような露骨さだった。さすがアメリカでニューヨーク市ならではの露骨さだろうか。僕らはすぐに何だか了解し目を逸らして除けた。そんな気配のないところで突然風俗の声をかけられたりすると何か怖い気がするものだ。ここの駅前というのは特に商店街が連なるというでもなく出口を出たらすぐ普通の住宅の群が並んで延々と続くというだけの場所だった。夜でも目ぼしい灯りをつけている店は駅前に、フライドチキンの小さなチェーン店が出ているぐらいのものだった。日本では見たことのないフライドチキンのチェーンが灯りをともしている。ニューヨークで地元のチェーンだろうか。究極Q太郎は村田さんのアパートに連絡を取るべく、駅を出たところの公衆電話を使ってまず電話をした。それでそこの目の前にあるフライドチキンの店に入って、村田さんが僕らを迎えに来るのを待つことになった。とにかく寒い夜だった。雪は溶けているのかまだ降っているのか凍っている最中なのか分からない。判断しかねるような中途半端だがとにかく冷え込む夜の気配が町を頭上から覆っていた。