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ニューヨーク市の地下鉄とは何かというとそれが最低限の空間になっているということだ。ぎりぎりまで最低限の感覚で作られ維持されている空間だということ。ニューヨーク市の地下鉄において階段は狭いし、壁はコンクリートが剥き出しであり色は暗く、照明も薄暗いし駅員も最低限しか配置されていない。そういう意味でそこは最低限の空間であり、精一杯ぎりぎりまでの合理的に切り詰められた空間なのだ。しかし市民の実用性にとってはその空間とは欠かせないなくてはならないものである。絶対に必要な空間として100年以上に渡ってその地下の空間とは維持されてきた。

それは愛されていたこともあった。かつて街の愛のシンボルであったような時代もあった。地下鉄が全盛期の時代。世界の中でも最も長い歴史を有するほうにあるのだろう、その地下を張り巡る交通網とは、百年以上の時間の間に、何回もアメリカ市民の戦争を経験してきた。アメリカ本土に敵が攻め込まれたことはない。強いていえば、2001年の911の時だけ、ニューヨークは街全体がパニックに陥った。テロルの大きなものであったが、それは初めてアメリカ本土に敵の襲撃があったのと同様の効果をもたらした。

ニューヨーク市において地下鉄の構内とは薄ら寒い空間である。殺風景な空間であり最低限の金しかそこには配分されていないのが明らかに察せられる。壁の色はいい加減で暗い。電灯も暗い。人もすぐに途切れるので怖い。何が出るのかわからない。通り魔か変態が突然出現するかもしれないし、それよりもずっと奥から不思議な生物、つまり巨大化した鼠とか昔から住み着いたエイリアンとかが出現してきても、特に不思議を感じさせない。壁は肌色で鈍い光を反射し、天井は最低限のランプが暗く室内を反射している。そして音はやたら静かだ。地下鉄の構内にも人は少ない。寂しくて寒い。ここは最低限の空間なのだ。最低限の空間としての公共空間。ここはニューヨーク市の地べたなのだ。地べたには地べたの感触がある。寄り添って耳を澄まし壁にからだを当ててみると、ここがボトムだという最低限の実感を味わうことができることだろう。

例えば日本の地下鉄路線を見てみれば、一つの線において大きな駅から小さな駅までそこには含まれるものの、それが同じラインであるならばすべての駅において設備の大小や不均衡についてはなるべく平等に作ろうという、公共的に平等な意図というものが働くものだ。一つのライン上で、ある駅とある駅では設備投資に質的な違いが生じてしまうような事態とは、なるべくなら避けられるべきであり、できるだけ同等のサービスが供給されるようラインの上で統一しようという意思が働くということはあると思う。それは都市や鉄道における暗黙の公共的な意思の力の存在感だ。しかし日本的なそういう慣習的平等の感覚とは、どうやらニューヨーク市においてはうまく機能していないようなのだ。

ニューヨーク市においては普通の感覚が違う。同じライン上でも場所と場所の間では驚くような不均衡があろうと、それは仕方がないこと当然の状態として放って置かれるという環境のほうが、住人の意識にとって普通の様なのだ。

村田さんの住むというニューヨーク市郊外の駅、ブルックリンに所在する駅へと、地下鉄のラインを乗り継いで向かった。それはフランクリンアヴェニューという駅だったが、途中で僕らはラインを乗り換える駅を通り越してしまったのに気付いた。それでラインを引き返すために一回小さな駅で降りた。そこから逆に引き返してもう一度乗り換えの駅に向かうためである。

偶然降りることになったその駅は、小さくみすぼらしい駅だった。駅の名前はたしかuticaという駅だったと思う。特に何かそこに特徴的なものがありうるとは思えないような小さな駅だった。僕らが全く偶然的に遭遇した小さな駅だ。ラインを引き返すために一回小さな階段を上り改札の前を通ってまた逆側のホームに向かわなければならない。それは洞窟のようにひっそりとした寂しい駅だった。階段を上った場所にあったのはやはり人気のないような乗降口だがそこは廃墟のようになっている暗い地下のスペースだった。埃にまみれガラクタのような物が奥に積まれており人もなく明かりもついていない、もう長い時間ただ放置されてるだけのような広いスペースが乗降用改札の先には広がっていた。その空間は、昔はそこでマーケットなどが開かれ、売店なども多く出て賑わっていた時代もあった。しかしもうそれははるか昔のことであり今はただ誰にも顧みられることなく何も使われることなく、ただ放置された廃墟として何十年も時間が経ってしまっただけの場所だろう。

日本だと公共空間の地下鉄の駅が一部でこんな廃墟として放置されているようなことは絶対にありえない。伽藍としたスペースの廃墟では、その奥や片隅でどんな犯罪行為が行われていようとまるで放置されてしまうしかないような恐さを感じさせる、本当に投げ遣りに放り出された暗い空間なのだ。ここは駅というよりもただの廃墟だというほうが相応しかった。

偶然到達した小さな駅の荒廃ぶりには僕も究極Q太郎も驚いた。限りなく廃墟に近いといえるような唖然とさせる空間性を横目に見ながら逆側のホームに降り立った。他には乗客の姿もホームにみない。細いホームの通路だった。明らかに古く昔の時代に作られたままの地下鉄のホームだった。ホーム全体の幅も狭くまだ世界で地下鉄なんか珍しいような時代の建造物ではないだろうか。そこのホームではすべてが色褪せ、そこはホームというよりも退廃した洞窟といった感じが歩いているとした。特に古くて危ないからという理由では改装工事も為されないまま今まで続いている駅のホームである。僕らはホームの一番端のほうまで歩いていった。もちろん暖房などなく冬のニューヨーク市の地下でありその空間は冷えびえとしているだけだった。

「なんか悲しくなっちゃいますね」

狭い空間の周囲を見回しながら言った。

「すごいなあ。この駅。こんな駅日本じゃ見たことないよ」

「というか、これって駅なのかい?」

「これじゃあ駅というよりも駅の廃墟という感じだもんなあ」

ここでふとしたことから偶然遭遇したニューヨーク市に対する驚きを語った。

「なんかこの駅寒いですよねえ。また小便したくなっちゃったよ」

「面倒臭いからここでやっちゃていいですか?」

究極さんに聞いた。

「いいんじゃない」

究極さんもすごく投げ遣りな感じで答えた。もはや今の時代では危険な様にしか見えない細いホームの壁際に立って、僕は地下鉄の壁に向けて立小便をはじめた。

ホームの壁に向けて立ってやりながら、これと似たような感覚が僕にとって過去の記憶の層から蘇った。あれは17歳の頃だった。夏休みの深夜に自分の卒業した中学校の校舎の中に忍び込み、帰り際に校舎内の階段の脇で立小便をし、中学校の壁に記念のような小便をかけて立ち去ったことがあった。地元の友人で、同じその公立中学を出た昔の同級生と、卒業した中学校に深夜忍び込んで徘徊して遊んだ。不思議な気分の立小便とはそれ以来のことだ。なんかすべてが自由であるような気もするがすべてを放棄してしまっているような気もする、そんな投げ遣りな気分で儀式のような、それは自己放出の有り方だった。