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店はだんだん人が増えている。賑やかな気配は水位となって高まっている。最初は場所で大きすぎるように思えた僕らの会話する声も、もはやはっきり聞き取らなければ簡単に掻き消されてしまうような状態になった。僕らの後ろから日本人の女の子が二人顔を出して、カウンターの店員に話しかけようとした。二人はCBGBで売っているTシャツを買おうとして要求しているのだ。カウンターの端には棚がありそこにはCBGBのロゴが入ったオリジナル商品が置いてある。下の棚にはマグカップが並んでいるしシャツは棚の上のほうに畳んだ物が一杯重なって詰まっていた。

「あっ。ぼくもお土産にCBGBのTシャツ買っていこうと思う」

それを見ながら究極さんが思いついたように言った。スタッフの女の子が椅子に乗って上の棚から、日本人の女の子が要求してるシャツを取り出していた。そして椅子から降りて日本人からお金を受け取り、シャツを茶色い紙袋に包んで渡した。単純な交換の形式が僕らの横で行われているのが見えた。まるで儀式のようにすごく当然の交換が自動的に、儀礼的な趣きで、日本人ツーリストとスタッフの黒い店のシャツを着た女の子の間で取り交わされていた。

究極さんが振り返って聞いた。

「何色のシャツ買って帰ったらいいと思う?」
「やっぱ、赤でしょう」

僕は彼の問いに答えた。

「いや、やっぱ黒でしょう」

究極さんはしかし自分で確認するようにそう言った。日本人の女の子二人はCBGBの商品を買って満足した顔をして僕らの後ろを通り抜けて帰っていった。カウンターでシャツを売ったスタッフの女の子は、再びバーのお酒の仕込みに戻っていった。CBGBのロゴ商品が並ぶ棚の前は、長いカウンターの隅にあたっているが、そこでは他のスタッフの女性が二人ほど、何かテーブルに帳簿のようなノートを開いて計算していた。計算はきっと間違いが許されないのか、難しい顔をして女性スタッフ二人が、ノートを睨み付けるようにして調べていた。棚の前にはそこに並ぶ商品に気を使う人は誰もいなくなった。伽藍とした空き隅のような空間がカウンターの奥に生じていた。そこは店の中では注意力の隙を見せたような感じというか。しかし商品棚の前では帳簿をつけている女性スタッフ二人が難しい顔をしてノートを睨み俯いている。そのとき究極さんはもう酔っ払っていたのかもしれない。いやきっと酒が彼の体の中をいい気分で回っていたのだろう。つかつかと究極さんは商品棚の前へと歩み出た。そのとき彼の顔色は赤くなっていたからやっぱりあれは酔っ払っていたのだと思う。僕は、スタッフの女性に声をかけて頼むものとばかり想像していたが、究極さんはカウンターの内側に自分で入っていった。手元にあった椅子を引き寄せて乗っかり、背の高い棚の上のほうに詰まっているCBGBシャツを取り出そうと自分で手を伸ばし引っ張りはじめた。カウンターで帳面をつけていた大柄な白人女性のスタッフは咄嗟に首を上げて目を見張った。あんた一体何やってんのよお、という顔つきで究極さんの方を睨みつけた。隣で帳面をつけていたもう一人のやはり大柄な女性スタッフも気付き、二人の逞しいアメリカ人女性は、なんなのコイツ、という顔をして見合わせた。究極さんのほうは、しかし彼の背後に突き刺さっているキツイ視線の矢にまだ気がつかないようである。やっぱりあの時究極さんは既に大いに酔っ払っていたのだとしか説明の仕様がない。しばらく女性二人が顔を見上げて、商品棚に上っている変な日本人男を睨みつけていたが、ついに声をあげた。究極さんは何か気配の変調に振り向いたが、まだ反応が鈍い。スタッフの詰問的表情は結構マジに鋭く光っている。

「究極さーん、自分の店と間違えてないかい?」

僕は遠くから声を大きくして言葉を投げた。あれっ、ととぼけたことを言って究極さんは椅子の上から退いた。僕は自分のいる席から声をかけて、ヘイ、その人はシャツが買いたいんだよ、と説明を投げかけた。女性スタッフの気分を害されたような態度はなかなか収まらないみたいだったが、究極さんがしどろもどろしながら弁解するのと、後ろから僕が援護して出来事の説明する声を投げかけるのとが交差し、なんとか事情を理解してもらうのに成功し、究極さんはお土産用のシャツを数枚、女性スタッフからゲットした。

究極さんが赤い顔をして僕のいる席に戻ってきた。

「究極さん、自分のやってる店の時と、気分が一緒になったんでしょう」

僕は笑いながら言った。究極さんは、西早稲田の交流居酒屋で自分がスタッフをやっているのと同じ気分で、そのままCBGBのカウンターの中にも入ってしまったのだ。究極さんは照れ笑いをしていた。

「そうだなあ…」
「究極さん、もう酔ってるでしょう」
「そうかもしんない」

彼はシラフの反応と勘を取り戻すまで結構時間がかかってるみたいだ。

「そんじゃあ。やっとお土産のCBGBシャツも買ったことだし。そろそろ僕らもここを出ましょうか」

僕は究極さんの気分を入れ替えるように、檄を入れるようにそう言った。僕らはもじもじするように手元の荷物をざっと片付けて席を立った。最初に僕らの相手してくれた黒髪のお姉ちゃんは、集まっている客の群れを相手に盛り上がって歓声を上げていた。カウンターの中央で、客達の前で、CRAZY!と叫びながら乾杯の音頭をとっていた。店はこれから大いに盛り上がるのだろうが、僕らは逆方向をむいて店を出ていった。店の扉を出るとき、すれ違いに入ってきたのは、黒いレザーに身を包み、髪の毛をぴんぴんに逆立てピアスを幾つも顔に垂らし揺らしている生粋のパンクス達だった。モヒカンもいれば自由の女神みたいに上がぎざぎざ尖がっているのもいた。これから深夜にかけて最もCBGB的なタイムゾーンに入るのだ。しかし僕らは、村田さんとニューヨークで再会するために、もう別にここに残すものはないと、急いで店を出ていった。僕らは少し雪のふぶく外を地下鉄へと向かった。