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「ところで究極さんは、ニューヨークで何処に行って見たいと思ってるのさ」
そろそろCBGBの店内も客の出入りが多くなってきた模様である。店は本番の営業モードという感じに入っておりそこらじゅうから乱雑な喋りの嵐で賑わってきた。
「ぼくは…エンパイアステートビルかなあ…あと自由の女神とか…」
「へっ?」
僕は言った。
「それって思い切りメジャーじゃないですか」
「そう?」
「単なるメジャーを通り越して。それじゃあただのミーハーですよ」
「くりちゃんはじゃあどこいきたいのよ?」
究極さんが聞き返した。
「僕は…吉野家USAですね」
「えーっ!アメリカ来てまで吉野家で食うの?」
究極さんは目を丸くして言った。
「それって理解できないよ」
「いや。日本の吉野家とはきっとメニューが違うだろうから。アメリカのメニューを比べてみたいんですよ。」
自分のこの思いが果たして他人にも理解可能なものか説明を試みた。
「ニューヨークでは繁華街の中心近くに確か吉野家があったはず。あとロスとかにもあるらしいんだけど。それに今はBSEの規制で日本の吉野家は牛丼出してないでしょ。久しぶりに牛のたっぷり乗った丼を腹一杯食ってみたいんだよ」
2004年当時この時期はちょうど狂牛病のBSE問題が大きくなっていた。日本ではアメリカ産牛肉が輸入できなかった時期である。しかし、吉野家の社長は会社のプライドをかけて店で牛丼の販売を休止していた。そんな期間が一年近くあって日本のニュースにもなっていた。ちょうどあの頃のことである。
「僕はチェーン店のメニューについて、地域によって食べ比べて見るのとか好きな方だよ」
「ふーん」
「マクドナルドとかウェンディーズとか、こっちにも日本と同じ店のオリジナルがあるじゃないですか…結構興味あるねえ」
「けどさ。日本の吉野家ってなんで今は牛丼を食わせないんだろうか」
「吉野家はあの社長が性格の相当濃い人だよね。テレビにも出てきて説明をした人だ。粋な信条を貫いてるタイプの社長像というかさ。アメリカ産牛肉が輸入できない限りは、うちの店は牛丼出さないぞということ。日本の伝統的な老舗が味を守りながら商売してるんだというプライドがあるんでしょう。あの社長はプライドで商売をかけてるね」
「それっていいことなのかい、悪いことなのかい?」
「まあ別に、日本では吉野家だけ牛丼出さなくても他の店では牛丼食えるわけで。迷惑かけてるわけじゃないよ。」
僕の説明に、究極さんはそうかという顔をした。
「あとそれから。グラウンドゼロにいきたいと思ってるんだけど」
究極さんが言った。
「グラウンドゼロは僕も行きたいねえ…是非行きましょう。絶対行っておくべき場所だよ」
「グラウンドゼロは今工事中でしょ。もう911の事件でワールドトレードセンターが破壊されてから3年経ってるけどさ」
「うん。工事の最中だとは日本の報道でもやってた。あそこはずっと花を持って死者の弔いに来る人の列が今でも絶えないみたいだ」」
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ事件は2001年のことである。僕らの探訪はそこからまだそんなに時間が経っていなかった。イラク戦争が開始してちょうど一年の時期を利用して、怖くて他の観光客なんか殆ど退いてしまうときにこそ僕らは安くここまで来たのだし、逆に慌しい不安の中でニューヨークという街はこのとき観光的な側面とは違う何かの素の表情を、静かに晒していたのかもしれない。観光の波が退いている時にこそ見せる、街にとっては脇の下の隙であるような表情の数々。
「そうそう。ニューヨークにもスクワットハウスありますかね」
僕は言った。
「うん。ニューヨークでもアナーキストの群れに遭遇して僕らが訪ねていけたら面白いんだけど。探してみようよ。もしスクワットハウスに入れれば宿泊代も浮くしね」
スクワットハウスに遭遇することができるか、つまりアナーキストの群れにここで出会えるかというのは、僕らの淡いニューヨーク的期待の一部になっていた。
「あとね。ヘンリーミラーシアターというのがあるみたいだよ」
究極さんが言った。
「どこにあるのそれ」
「マンハッタンで繁華街の中心の方にあるみたい」
「ヘンリー・ミラーはアメリカ人に今でも読まれてるのかな?」
僕の頭にちょっとした疑問がよぎった。
「日本なら三島劇場とか坂口安吾劇場みたいな命名にあたるんだろうけど、文学のイメージというとなんかあの辺で止ってる印象あるよ」
「アメリカ文学の印象かい?もし文学の進化がそこで止ってるんだとしたら、今でもやはりそこの止ってる場所で読まれてるということじゃないの」
どうやらそれが究極Q太郎の解答であるようだ。