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ところでCBGBの店内でさえも全面禁煙だったのだ。手元にも何処を見回してもCBGBの店内で灰皿は見当たらない。そして店の人に言っても灰皿だけは出してくれない。ニューヨークの市長がブルームバーグになって市内の飲食店における完全禁煙が実現されてしまったのだ。こういう禁止事項が一旦決定されてるとたぶんアメリカの場合は日本よりも過激だ。考え方が傾くときアメリカ人は半端なくやはり徹底的に傾いてしまうのだ。そういえば昔、禁酒法なんていう他の国にも類例を見ない極端な法律が存在したのもアメリカの歴史だ。そんなに昔の話ではなく近代以降のアメリカである。しかし、アナーキーでワイルドな事を旨とするバーハウスで、煙草が吸えないというのは、どうもなんか手元が寒い気がするものだ。なんか慣れないし心許ない。物足りない気がしてしまう。煙草の煙とはずっと一つの文化だった。特にニューヨークには独特の煙の文化だったはずだ。近代以前の古くからもそれは文化だったが、近代以降は更に特徴的なバーのカルチャーを形作った。そもそもモダンジャズという音楽は20世紀の中盤からニューヨークを拠点に独自の文化として逸早く開花した。特徴的な文化だった。しかしモダンジャズ演奏の流れるクラブやバーで、煙草の煙が存在しないというのはちょっとイメージを想像できない。そもそもジャズという精神性にさえ反している。

ロックの文化の生成にもほぼ同様なことがいえる。別に何もマリファナを吸えとか言うわけではない。マリファナやコカインならこそこそ吸うというのがやはり意味としても相応しいのだろう。しかし煙草がないというのはちょっと確実に文化に断絶を与えるのだ。我々は、煙草の煙のイメージから断絶されたマイルスやコルトレーンの音楽をとても想像できないだろう。ロック、パンクにしてもやはり同様なのだ。そこでは場所における煙の生成が、アナーキーなイメージの自然発生を謳うものである。煙の生成して上に昇り行くその現象と形態が、まさにその音楽の確かに生成するイメージそのものだったのだ。市内における一律禁煙というのは、そのまま音楽の終焉を意味しているのではないか。それはアナーキーを旨とした音楽ジャンルの終焉に消滅を、都市において意味するしかないと思われるのだ。ニューヨーク的文化のある種の死亡である。それはゼロ年代の前半にやって来た。これは何を象徴するのだろうか。実際CBGBという店は、僕らがここを訪れた後に、2006年で、経営難で家賃が払えないということで閉店することになったものだ。今ではCBGBとは、ウェブ上のメモリアルとしてだけヴァーチャルに存在するものであり、グッズやTシャツの販売を続けているという、既に記憶におけるだけの存在というものになってしまったものだ。

煙草は成田の免税店でカートンごと買ったものが沢山カバンの中には控えている。そして既に酒は入っているというシチュエーションは成立しているのに、しかし全面禁煙だから吸えない。手持ち無沙汰でかつ軽く欲求不満である。手元の暇さ加減にちょっと戸惑ってしまう。思わず手の動きが空回りしてしまうなんていうことを繰り返しながら、しかし人間というのはこういう環境の強制的な変化にいつも慣れることによって適応して今まで来たものかとも思う。あんまり大袈裟に考えすぎないほうが身の為かと。ついつい煙草ほしさに空回りしてしまう手の動きを宥めながら、僕らはCBGBのバーカウンターで残りの時間を潰していた。究極さんが言った。

「これで後は飯塚君が合流すれば今回の旅はメンバーが皆出揃うよ」

飯塚君というのは、静岡の県立大学で非常勤講師をやっている研究者だった。

「飯塚君はもう成田を立ったんだろうか」
「僕らとは一日遅れで彼も成田を立つはず。飯塚君がニューヨークには詳しいはずだからさ。合流したら彼に色々案内してもらおう」

飯塚君は、京大を出てからニューヨーク市立大学に二年程留学していた。実家は千葉で木更津の人だった。研究分野はサン・シモンやフーリエといった19世紀の空想的社会主義だという話を本人の口から聞いたことがある。

「飯塚君のニューヨークガイドには期待したいねえ…」

眼鏡をかけた飯塚君の顔が思い浮かんだ。髪型は軽くマッシュルームに近かったかもしれない。記憶の中の飯塚君だ。でももう結構僕の頭には酒が回ってきてる。

「飯塚君は村田さんと仲がいいからさ。彼らは前もってよく連絡が取れてると思うんだ」
「じゃあ、中途半端でどっちつかずの変な来訪者は僕らだけだったということかいな」

手元がスカスカと暇すぎるので指でテーブルをこつこつタップしてみた。

ドラムビートを軽くイメージできるように。