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飛行機は上空で一定の高度において安定した飛行を確保している模様である。

しかしこの飛行機の中はちょっと寒くないのか。僕はそんな気がしてきたが周囲の人々を見ても変な反応は見られない。どうやらたぶん僕一人だけがこの客席の中で妙な寒気を気にしているのだ。来る前にあった東京の陽気を思い出した。三月の二十日過ぎであの陽気はやはり異常に暑すぎたのだ。ということはこの中で薄着すぎるのは僕だけなのだろうか。それか僕の体調は旅の緊張でどこか体内のサーモスタットが振り切りすぎているのだ。最初の機内食アテンダントが運んできた。給食よりは高級だが、それはすべての素材において平均化されたような加工を施されてるものであって、均質にシンプルに計算され練られ込んだ機械的な食事のメニューだった。栄養表の理論的な数値をそのままトレーの上に配置したような機械的な食事である。マックやファーストフードの食事が必ずしもいつも美味しくないわけではなく、ジャンクフードにもそれなりのおいしさというのはどこか発見できるものだ。エコノミークラス用にシンプルに練り込まれたパッケージの中の食事もそれなりの期待に楽しみは持てた。こういう食事も必ずしも悪いわけではない。そして機内にはコーヒーや紅茶が配られ、ワインの小瓶も希望者には配給され、僕も一本飲んだとは思う。そして静かで退屈な機内において最初の仮眠をして、離陸から数時間した後だった。

いま飛行機は太平洋の遥か上空を飛んでいるはずだ。僕は胃の痛みを感じて目が覚めた。僕にとって胃痛というのは珍しいものではなく日頃もちょっとした切欠で胃がやられてしまうということはままあるのだが、今回は旅行のために胃薬を持ち合わせて来なかったので、実際胃痛に気づいたときちょっと後悔した。大田胃酸もってくればよかったなあ。胃が痛くなったときどうすればよいのか?一つは、胃薬を飲むことである。僕が普段常用してるのは大田胃酸であるが、それは大田胃酸がコストパフォーマンス的に最も安くて頻用できるのでそうしているだけだ。本来もっと効き目の強そうな胃薬は薬局に行くと結構あるのだが、それらは高そうなので試していないだけだ。

胃の痛くなったときの対処として、二つ目は吐くことである。嘔吐すること。吐いて胃の内容物をみんな出してしまうのが実は最も効き目はある。そういえばここ最近は長らく吐いてないなと思った。吐くのにも慣れというのがあって、普段ずっと吐いてないと吐く行為を実行するのにも何か躊躇いと面倒臭さがあるのだ。さて、飛行機の高度何千メートルかの上空で、今回の僕の吐き気はどうすればよいだろうか。アテンダントに胃薬を訊ねてみたが、ありませんと素っ気無く云われた。そのアテンダントの女性のありませんというときの素っ気無さにおいて、この振り切り方というか冷たさというのが、何かとても慣れた素振りに見えた。客の要望を無下に却下し振り切ることができるのもきっと職業的な重要テクニックの一つなのだ。さもなければとても航空業界なんか生きていけないのだろう。と同時に、こう素っ気無く冷たくあしらわれる事は、やはりエコノミークラスの階級的宿命ではなかろうかという気がした。

究極さんも薬の持ち合わせはないようである。しかし高度な上空を飛行している機内は、気分的にもやたら寒く感じられるのは何故だろう。機内の気温調整ということだが、一度それを上昇させるだけでもたぶん経費が幾らかかるとかみな計上されているのだろうということだ。だから運行中の会社的なルールとして、エコノミークラスでは室内温度は何度までに保つとか、そういう節約上のルールがここではきっとあらかじめ決まっているに違いないのだ。自分にとって部屋が寒いといっても特に文句の言いようがない気がした。周囲の客は特に不便を感じていない状況で。飛行機の外は高い空の上で氷点下のすべては凍りつくしかない様な冷気の中を鉄の機械が突き進んでいるというのが、今ここである状態の現実である。飛行機自体の温度はただ冷えていくしかない状況で、人が生存可能な気温の空間を作り出すだけでも、飛行機にとっては大きなコストがかかっているのだ。そこでは気温を一度調節するだけでも相当の費用のエネルギーが動きうるとは、よく考えれば了解できる。退屈で他に為すすべもない中で、段々強まってくる胃痛に我慢しているのはハードな体験だった。飛行機の中で僕にとって自分自身との我慢比べがはじまった。胃痛を耐え忍び忘れるためにはどんなテクニックを必要とするのだろうか。機内で僕は必死に対応策をいろいろ考えては張り巡らした。

とにかく忘れるようにすることだ。胃の痛みを。

持ってきた文庫本で読書して忘れるか、機内に備え付けのヘッドフォンでラジオを聴くか、機内の映画を見るかで忘れるか、あるいはひたすら寝てしまうことによって忘れるかだ。地獄の沙汰というのは地獄を通過する渦中では、ただ忘れるしかないのだ。これが人間の最も動物的な結論だ。寝るのにも寒気がするので、アテンダントに毛布を頼んだが、エコノミー用の毛布というのは本当に薄っぺらい、粗末な毛布しか与えてくれなかった。笑顔とこの素っ気無さがサービスする側にしてもテクニックなのだ。それにしても冷たい残酷なテクニックだ。でもこの残酷なテクニックが航空会社になかったら、ニューヨーク往復便の安価なエコノミーセールスとは成立しないのだろう。そんな想念ばかり幾つも多様に、へとへとになった僕の脳裏には押し寄せては消えていった。別に我慢することに慣れていないわけでもない。なんとか根性で乗り切れるだろう。というかそうとでも思うしか他にない。根性というのもヤバイ言葉の一つだとは思っているがいざという時腹を括ったらもうその位しか態度の決定が不可能ではないか。人間の追い詰められるときの動物的なボトムの部分だ。あるいはこういう時こそ一か八か神にでも懸けて祈ってみるとか。…そんな風に、薄いブルーの室内灯が静かに照らしている機内を、まるで氷の芸術品のように主観が受け止めながら、苦しくて薄れていきそうな意識の中で、半目を開けて、考えていた。