1-5

「あれ、飛行機の座席ってこんなに狭かったっけ?」

座席に着こうとしたときに思った最初の感想だ。それか僕のからだがいつの間にか大きくなったのだ。しかし究極Q太郎のほうが僕より慣れているみたいだった。

「これであと何時間乗るんだっけ」
「13時間ぐらいかな。たしか。」

彼は客席に持ち込んだ荷物を座席の頭上にあるボックスへと格納していた。
「それか、14時間か」

立ち上がり上半身で荷物の入れ具合を工夫しながら彼は答えた。

「少なくとも12時間以上ね。ニューヨークと東京と時差が開いてる分にプラスアルファしたぐらい、きっと乗るんだな。地球の回転と飛行機がこれから競争するのだと考えて」
「なんか信じ難いなあ。この狭さにそんな耐えるのって」
エコノミークラス症候群に気を付けた方がいいよ」
「ああ。いわゆる巷で云われるエコノミークラス症候群ってこれのことね。狭い場所に長時間座って我慢してると足が変調を来たしておかしくなるという話。納得した。」

荷物が殆どないといえる僕は飛行機の中で一人だけ余裕だった。座席のソファに腰の具合を落ち着かせながら確かめていた。周囲の客はみな天井に向けて立ち上がり荷物をボックスに詰め込むのでざわざわ動いていた。僕は座りながら手持ちぶたさでやってることといえば貧乏揺すりぐらいしかなかった。

飛行機は静かに離陸した。しかし早速退屈の魔は忍んでいる予感がする。向こうに着くまでのこの時間性をどう過ごしたら最も満足できるのかいろいろ想像してみたがどうも考えあぐねた。左の隣には究極Q太郎がいて右の隣に座ってるのはどうやら中国人の男性だった。時折自分の赤い中国語のパスポートを開いて見ては何か一人で納得しているようだった。

「究極さん、ベルリンにいったのは何年前だったの?」
「もう10年まえだよ。そうそう。銀次と一緒にベルリンいったんだよ。」

そう言いながら彼はにやける様に思い出し笑いした。以前にヨーロッパを旅行して向こうの左翼が生活してるところを訪ねて回ったということだったのだ。

「あのときは銀次が中心に音頭を取って仲間でベルリンにいった。でももう10年たってるよ。」

銀次というのは、かつて山谷争議団のメンバーだった熊のような風体の男で、僕らより少し年上の男だ。

「あのときはひとり小さな子供を連れていったから。子供のお守りを飛行機の中でしていたよ。加納さんの子供がいたんだ。男の子だけど、まだ小さくて殆ど赤ん坊だったんだけど、旅行をするというのでヨーロッパまで一緒に連れていってしまった。」

加納さんというのは、沈没ハウスという共同保育とシングルマザーを中心にした共同住居を、西新宿の古アパートを一錬丸ごと借り上げてはじめた女の子だった。彼女はとても勇敢で行動力のある女の子だった。学校なんか別に全然いってなかったにしても。

「行った季節はいつ」
「うん。あれは冬だったね」
「そのときベルリンは寒くなかった」
「寒さはそんなでもなかったよ。耐え難いほではなかった。そんな風には思わなかったけど。向こうのスクワットハウスがすごかったよ。」

究極Q太郎は語った。

「僕らはスクワットハウスにお世話になったんだ。向こうのアナーキスト達が住んでる。ヨーロッパの都市にいくと空き家で人が住んでいなくなったところに勝手にアナーキスト達が入り込んできて住んでしまうわけ。日本じゃすぐ犯罪扱いになるからできないけど向こうではそういう事が頻繁に見受けられるんだ。」

町の中の空き家を関係のない部外者が勝手に入り込んで住み始めるという現象のことを指してスクワットハウスという。文字通りの占拠住宅という形態である。

「しかも勝手に住んでるアナーキストの連中はそのうちそこに住む正当な住民の権利も主張してくる。そこが向こうのすごいところなんだよ。そこまでできるというのは歴史的な本場の左翼ならではだね。ヨーロッパにはそういう共同ハウスが現象として多いんだよ。」

「それは歴史的なものなのかな?そういう事やってもあんまり文句がでないとか。犯罪扱いされないとか。日本ならちょっとありえない」

「歴史性の違いは大きいよ。」
究極Q太郎はエコノミーなる狭い座席の上で首を振って頷いた。
「けどやっぱり空き家に不法に住んでるわけだからアナーキストの彼等にとってイザコザは絶えないわけ。水道も電気も通すことができないからね。だからアナーキストは、勝手に町の空にかかってる電線から電気を引いちゃうんだよ。自分たちで工事をして。電柱をよじ登り、配線を組み替える。」

「それって危ないなあ。やっぱりヤバイ橋渡って生きてるのは、それなりのリスクに身を賭けてるんだな」
「それで水道も引いていない家に住んでる。でも飲み水はまだなんとかなるんだ。問題なのは下水なんだよ。スクワッターを追い出すために行政は下水の流れも止めてくる。そうすると彼等は風呂用のバスタブの中に排泄物を入れて溜めておくんだな。それで定期的にその汚物を外に捨てに行くわけ。ざーっとバスタブを引っくり返して空き地に捨てる。」

「それは強烈だ」

アナーキストがその作業をやってる光景を想像したら笑ってしまった。

「ヨーロッパの都市の片隅で、スクワットハウスが勝手に電線工事をして引いた線が、蜘蛛の通る迷路のように不規則に空を張り巡っている光景を発見することがある。それを見つけたら、ああここにはスクワットハウスがどっかにあるんだなと分かるわけだよ。」
「ふーん。自主自立の精神ですね。それをヨーロッパの地域的な精神性として考えたら」