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ニューヨーク市の郊外から中心に向かう電車の中で、昼下がり、外は雪模様の曇り空で、車内には薄暗い灰色の光が差し込んでいる限りである。乗っている人の数も疎らな寂しい車内である。木でできた硬い電車内のシートには馴れていない。少なくとも日本の列車でシートが木の硬い物が剥き出しで安上がりだったというのは、記憶にない。見たことないような気がした。しかし便利に見える日本の電車事情だって、やはり昔は木のシートだったに違いないのだ。

人は疎らな薄暗い昼下がりの車内で、僕と究極Q太郎の前に、向かい側のシートに座っているのは、一人の若い青年だった。青年は電車の中で眠っていた。コートを着てポケットに両手を突っ込んだまま、深く頭を下げている。頭を胸の上にうな垂れ、大きく股を開いたままで、電車の中で熟睡していた。彼の尻は席からずり落ちそうなぎりぎりのところまで前に迫り出しているが背の高い男なので電車の中で爆睡しているその姿は迫力ある。部厚い眼鏡をかけている背の高い白人青年が、ポケットに手を入れ座ったまま熟睡している。

「電車のシートがここは木じゃないか」
究極さんが言った。
「うん。だからこれ。マクドナルドと同じだよ」
「椅子が硬いとそこで人間は長居ができないだろうという、あの法則のことかい?」
そう言いながら究極さんは、木でできている長椅子のボディを手の平で、パンパンと叩いてみせた。

「そう。セキュリティ論の法則の話。同時にマックの場合ならば、それで客の回転数を早くして売上にも貢献できる」
「売上にも貢献できるし、ホームレスとか変な人が店に居着いてしまうのもそれで防いでるわけだ。」
「それもそうだけど・・・しかしニューヨーク市の場合、これって単に金が回ってないという気もするな」
「ニューヨークだと予算をこういう公共空間に回す発想がないということかい?」
「そうだけど・・・」

「それか、同じ公共空間でも、日本とアメリカじゃ金のかけ方が違うということじゃないのかな。要するに金を回す場所が違うんだよ。アメリカ人は別のところに公共の金をかけてる。」
「うむ。一概に公共が節約されてるということはないかもしれないけど。でも日本の電車でこの見すぼらしさに寒々しさはないでしょ」
「やっぱりアメリカだと貧富の差の大きさを予感させるな」

「公共空間における硬い椅子も、思想の一種ということかい」

「そう。これもアメリカ人と日本人の思想の違いだ。しかしそれにしてもアメリカ人って寒々しい思想の持ち主だと思うよ。」

単にそれは思うというよりも、我々にとってかなり切実に実感された、最初のアメリカの感触となった。日本にも遥かに増してニューヨークでは、街中で人の休める場所というのが、徹底的に削減されている模様である。電車は地下に入ってから何処を走っているのか全く分からなくなったが、横では究極Q太郎が地球の歩き方マップを開いて熱心に集中しながら調べていた。この辺だともうマンハッタンでも中心部だろうという駅に目星を付けて電車を降りた。

地上に出たとき外はもう暗かったが降っていた雪は雨に変わっていた。出てきた場所は何やらオフィス街の真ん中である模様だが、右も左も分からない。オフィスでは仕事が退けた後の時間に当たっているのだろう、人々は騒ぎながら楽しげに町を行き交っている。仕事が終わった後の解放感が出ている。賑やかに声をかけながら人々が交差していく。リラックスした空気が漲っており、町の飲食店やバーに人々が出入りしていく。道路の所々ふとした場所には地下鉄の出入口がモグラの穴ぼこのように開いていて、そのうち一つの穴ぼこから出てきた周囲で、僕らの目に付いたのはチャイニーズバーだった。店頭には本日のメニューが手書きで張られた小さな看板が出ている。値段の具合を確かめてみてから、僕らもこのバーで最初に休むことにした。