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「くりちゃん、その格好」

究極Q太郎が指を差し笑いながら言った。

「あかねに来るときと全く同じじゃんか」

成田空港に向かうのに僕らは日暮里の駅で待ち合わせた。山手線と成田に向かう京成線の乗換駅にあたる日暮里駅では渡航者用の待合室がついているからだ。横には究極さんのアパートに転がり込むようにして同居するようになった女の子、トミーが見送りに着いてきた。トミーは横で究極さんに対してしな垂れかかるように立っていた。彼女も長い身体ををしならせながらけらけら笑った。その会った瞬時にしてぐにゃっと空間が笑いで歪んだ形が面白かったので印象に残っている。

シャツの上にトレーナーを着て黒のいつも着てる革ジャンをあおり、図書館に行くときいつも使ってる黒のショルダーバッグを持ってきただけだった。それだけ。そのまんまだった。旅行に行くのに重装備していくのが僕は嫌で、もとからそういう習慣がないのだ。何か旅行先で困ったことがあったらその場で一番安い品物を買えばよい。その位にしか考えない。旅行に行くからといって自分の歯ブラシをもってバスタオルを持って寝巻を持ってとかそういう発想が全くない。全部その場で調達できるものではないか。だからニューヨークに行くといって何も考え方に異なるところはなかった。バッグの中には文庫本が二冊ぐらいとパスポート類しか入れていない。あとタオルと下着にシャツが少々といったところか。徹底的に軽いバッグの中身である。軽くすればするほど気持ちのいいような気分になれた。

成田を旅立つその日、三月の二十日過ぎだったが、東京の空には急激に脳天気で先走りするような暑い陽気が訪れ、Tシャツ一枚で外を歩きたくなるような陽気だった。だからその一日の気分に影響され、僕もそんな軽装備でニューヨークに行きたくなったのだろう。しかし今回に限っては、東京とニューヨークの差異を考えない僕の考えは全く甘く祟ってしまった。ニューヨークの気候の状態も春先にありがちな不安定で気紛れな天気とはいえ、東京の穏やかな甘さと比べ、その気候のアップダウンの激しさは全然違うものだったのだ。三月のニューヨークとはまだ強烈に寒い。雪はがんがん降るし気温も零下まで簡単に下がる。僕はトレーナーの上に革ジャンをはおってるだけだ。下はジーパンでスニーカーをはいてるだけ。東京を出発する日には暑すぎるかと思ったこの格好も、ニューヨーク到着後しばらく時間が経つともう耐え難いものになってからだは冷えてきた。究極さんは小さなキャリーバッグで車輪を転がしながら一つ持ち歩いていたものだった。高校時代アメリカに留学していたトミーから譲られたものだ。

雪のやんだ合間のJFK空港から僕らは鉄道でマンハッタンに向かった。

ニューヨーク市の鉄道は郊外を通り抜けるのろのろした電車だった。ただ日本の電車と違うのは、ここだと電車のシートというのがソファになっていない。木の堅いベンチがそのまま電車内の席になっているだけなのだ。冷たいというか安っぽい電車の中だった。それに車内の暖房もほとんど効いているとは言いがたい、寒い車内であるし、しかも電灯設備も薄暗い。アメリカは貧富の差が激しいというがこういうところにも待遇が露骨なのだ。アメリカの、ニューヨークの公共空間というのは、露骨に安上がりで貧しい空間が開いている。金を出して買う私的空間と公共空間の落差が露骨に開いているのだろう。

長く遅い電車に揺られながらマンハッタンに向かっていた。電車の中は、暗く、寒く、硬く、憂鬱な電車だった。この憂鬱さを普通にニューヨーク市民は共有してるのだと考えると、少々悲しい気持ちにならないでもない。電車の窓から外の風景を眺めている。

ニューヨーク市の郊外の風景である。雪はまた降ってきた、こんどのは大降りである。雪の粒は東京よりもはるかに大きく、激しい。それもまたアメリカらしいダイナミズムである。広場にトラックが止まっている。横にはあの馴染みのあるミスタードーナッツのロゴが入っている。トラックの背にもすごい勢いで雪が積もり続ける。ドライバーはどこにいったのかも知れない。寂しい空き地にトラックが雪の中乗り捨てられているといった風だ。

ニューヨーク市の電車はぼろかった。そして汚かった。これと比べたら日本の電車とはなんと親切で暖かくきれいで設備がよいのだろうと思う。やはり日本というのは全体的な豊かさという水準では高く恵まれているのだろう。ニューヨークの公共空間の寒々しさと比べたら東京など天国ではないか。

雪は激しくなっていく。半端じゃない降りである。アメリカ人の食いつきそうなどでかいステーキのようにも同じくそれは半端じゃないやり方だ。電車は走っていく。時刻は夕刻に向かっている。外も暗くなりつつある。電車はそしていつの間にやら地下に入っていた。大きな川を潜りマンハッタン島に入るのだ。