中国経済の生命力について

1.
通貨の価値とは日々微妙に更新されているものだが、通貨の動きに影響を与えている外的な指標というのが、必ずどこかに存在している。通貨が何によって影響を受け、その日の変動をするのかというのは、時と場合によって異なっている。しかし通貨の性質からいって、それは決してそれ自体で自立している存在では有り得ず、常に何かの外的影響によって突き動かされている、流れているものなのだ。それはだから、文字通りのcurrencyである。

2.
現在各国の通貨に対して影響力のある指標とはどこにあるだろうか。例えば、ユーロの動きに対して影響力のある対象とは、基本的には、アメリカダウの動きであることが多い。それではダウの動きとはどこに連動しているのかというと、アメリカ経済の内在的要因以外には、影響力が最も大きいのは原油価格である。つまり原油先物市場のグラフの動きが、ドルとユーロの動きに対していち早く影響を与えている。それはドルとユーロの動き方における基本形であるといえる。

世界的な通貨の動きに影響を与えやすいのは、ダウであり、原油であり、そして現在では上海株の動きが大きなポイントを占めている。日本では昼間の東京時間と言われている時間帯に、ドル円市場の動きに連動して影響を与えているものとは、上海株と日経平均の動きが、多くの場合基準になっている。この時間帯は、ニューヨークのダウ市場はまだ動きがはじまっていないし、アメリカとヨーロッパが夜の時間帯は原油市場も動きが乏しい。

現在地位を明かに世界の通貨に対する影響力が大きいのは、上海の株式市場であり、中国経済なのだ。特に上海株と連動性の強い通貨というのが、豪ドルである。上海株の動きに対して敏感に反応するのは豪ドルの動き方である。

3.
米国債の最も大きな所有者となっているのが現在では中国である。つまり中国が、裏から米国の財布を握っているような状況にあるのだ。債権の紐を握られているのであるから、米国政府は中国の発言に一々従わざる得ない。為替市場においても、時々大きな機関投資家の売買によって市場が動くときがあるが、それも肝心なところで中国の機関投資家が介入をかけていることが今多い。

中国では現在、株式市場では投機熱として最も活況を呈しているが、しかし中国人民のレベルではまだFXのような投資ゲームについて解禁されていない。中国人は潜在的には投機的なものに熱くなりやすい体質は持っているだろう。たぶん日本人よりもそういう性質には熱く過激になりやすいはずだ。

中国で人民政府の革命が起こった後、中国にあった潜在的に経済的で資本主義的であった勢力の人々は、みな海外に流出した。台湾は、歴史的に中国の中で続いていた資本主義的傾向性にとっての避難所になった。

しかし中国の状況も既に反転してしまった。一昔前では、走資派といって、資本主義的経済に走る人々は、人民裁判にかけられたのだ。そんなに昔のことではないが60年代の中国である。中国の体制はあっという間に反転したのだ。もともと民族的には、経済的な投機熱には熱かった民族は、現在ではより正直に、自らの本性を顕わに見せながら、鍛えつつある。その潜在力は相当なもので、底なしのようにみえ、日本や西洋諸国を脅かしている。

4.
大幅に資本主義化された政策を取り入れることによって変化を遂げた中国の威力を発揚したのは、去年の北京オリンピックの出来事だった。北京オリンピックの開会式では、巨大なマスゲームがお披露目され文化的な凄みも示した。あのマスゲームを監督したのが実は映画監督のチャン・イーモウであったことを知った。チャン・イーモウとは、80年代の後半に『紅いコーリャン』という作品で日本でも話題になった映画監督である。

紅いコーリャン』はすごい映画だった。強烈な映画だった。中国社会にずっと潜在してきたのだといえるあの強烈なパワーの存在に、いち早く共感を示し驚きを見せたのは、中上健次だった。中上健次紅いコーリャンの世界に触発された文章を朝日新聞に寄せた。チャン・イーモウは渋い文芸作品を作る中国人映画監督として、その後日本でも紹介が続いたと思うが、いつの間にか、彼は中国国家を代表する大監督になっていたことを、僕は知らなかった。北京オリンピックのあの大規模なマスゲームを、チャン・イーモウは指揮するまでになっていたのだ。

チャン・イーモウの青春時代とはちょうど文革期に重なり、若い頃のチャンは田舎に下放され、労働者として過ごした。その後彼が中国政府の映画学校に入ることを許されるのは二十代後半のことであり、地道な苦労人として彼のキャリアはスタートしている。今、中国の文化的な上位に、チャン・イーモウのような人がいるということは、すごいことだと思う。彼はかつての共産党政府の体制の裏から、微妙な接点をもって、リアリズム的な視点をずっと維持しながら作品をつくってきた人物であるからだ。

紅いコーリャンでも、イーモウが描き出す視点とは、人間の表面には収まり切らない過剰さである。その男の過剰さの的確な描写ゆえ、彼は中上健次の世界と共感したのだ。共産党体制に対する人間の過剰さを表現してきたイーモウが、いま中国政府を代弁する文化的トップにあるということは、すごいことである。彼は共産主義における二面性を的確に見分けることの出来る判断力を備えた重要な人物である。

5.
少し前に、NHKの深夜の特集で、北京オリンピックの演出が実はチャン・イーモウだったという特集を見て、僕は久しぶりに彼の映画が見たくなり借りてきた。『活きる』という映画で94年の作品である。チャン・イーモウはこの作品について、文革の時代を大衆の視点から描いてみたかったという動機を語っている。中国の素朴な町で、共産革命が波及し、それまであった価値観は転倒し、地主の階級は裁判にかけられ、人民裁判で石を投げられ処刑された。町の生産体制とは共同的なものとなり、人々は共同食堂で昼食をとり、それまで金持ちだったものはいじめられる側になり、毛沢東語録を掲げ共同的な奉仕をするものが町の中で偉くなった。

共産主義化した中国の田舎町において、時々走資派狩りが起きている。革命に反すると見なされ反動分子のレッテルを貼られたものは、捕まり、首には反動分子のプラカードをかけられ、からだを縛られて見せしめに引き摺られている。これが文革時代に、実際に中国の町で起きていた事件である。毛沢東肖像画をシンボルにして町の壁には描かれ、町の意向は統一されながら、庶民は、自分の家族が村八分にならないように、お互いを監視しつつも、それなりにつつましい生活の幸福感を頼りにして生きている。家族ごとにそれぞれの事情を抱えながら、何とかしてその状況下で幸せに生き延びようと試みている。

6.
『活きる』とは、チャン・イーモウの撮った素晴らしい映画であるが、このリアリズム的視点を頑なに貫いてきた映画監督が、現在中国文化の上位にいるということは、驚きを感じさせる感慨がある。彼は共産主義の現実について、決して妥協せずに、何処までも知り抜いている。毛沢東のイメージがカリスマ支配化した中国とは、全く正しいものはなかった。しかしその上で、中国人民の共同性について、正確に救い上げようとしている。

その頃逆に、フランスや日本といった先進国の内部では、左翼から毛沢東の賞賛が起きていた。しかしそういった毛沢東イメージの投影の様が如何に勘違いであるのか、チャン・イーモウの描き出す、中国の田舎町のリアリズムによって思い知らされる。西側の人々は、それを見ながら傍ら痛いほどに、安易な投影と賞賛の下らなさを改めて知るはずだ。

経済的に資本力で強くなっている中国が、この先どういう転び方をするのかはまだ分からない。大きな混乱になるのかもしれない。しかしチャンイーモウが映画で描いてきた視点が、人々のセンスに生きている限り、中国の民衆は、したたかに、民衆的な下方のレベルからも、幾らでも復活できるのだろうという逞しさを感じさせているのだ。