中南米におけるイメージと論理

ゲバラとは、ただイメージの人である。決してそれは論理構造ではありえなかった。ゲバラの語ったという中途半端な言葉の数々とは残っている。そして閑散とした国連の議席で演説したゲバラの映像など。しかし論理でいかに精緻に説得を試みようと、中南米という地域にとって人々はまず動かされなかったのである。そういうことをやってみたところで、まずかのような地域では徒労にしか終わらないのであろうし。

20世紀の時代において、1950年代という時期において、何故革命の対象は第三世界後進国の革命へと向かったのだろうか。先進国に比べて、そこにはまだ分かりやすい悪が転がっている。ステレオタイプの悪のイメージが、先進国の基準で言えば博物館のようにまだそこには温存されていて、単純な善の観念を勃起させることができる。そして中途半端に豊かな人たち、それはまさに第三世界ブルジョワの子弟だが、彼らの若い盲目の野心を満たすべく前に開いていた存在とは、まさにそうした後進国特有の分かりやすい悪の姿だったといえる。

ゲバラは、アルゼンチンのブルジョワの子弟として生まれる。アルゼンチンという国家の中途半端さもさることながら、アルゼンチンよりも更に米国から悲惨な搾取を直接的に受けていた存在としての、キューバの問題に遭遇する。それはやはりキューバの中途半端な豊かさの子弟カストロとの、メキシコでの出会いである。革命という観念に野望を託する若者たちの群れとは、第三世界の貧しさへと対象を向ける流れがこの時代にできていた。この時代にインスピレーションを与えた事件とは少し前に中国で実現された毛沢東の革命である。レーニン主義的な前衛ではなくて、農村に基盤を持つ啓蒙運動かつ武装蜂起的な革命のスタイルとして、そこではマオイズムのスタイルが範になっていた。

しかし、先進資本主義国における革命の問題とは、社会には分かりやすい悪など存在しないということが文化的にも認識として既に共有されていることによって、人々は自ずから善の限界について弁えていて、故にそこでは若い革命家志望たちの単純な野心を満足させられる対象など何処にも存在しないという現実によって、突き帰されるものに過ぎなかったのだ。そこでは革命的野心の側における植民地的対象とは、資本主義とは表向き逆の経由から、やはり第三世界後進国の貧しい民衆の地域へと向かうのだ。ここに革命主体のアイロニーがあるのだといえよう。1950年代において、そのような革命のアイロニーに沿って生きてしまった人々というのが、まさにカストロのグループであり、そこに合流したゲバラであったのだ。第三世界の革命の現実とは、実際にはこういう所にある。そこでは現実に貧しく搾取に晒されている人々の姿があり、見た目にも余りに分かりやすい悪が原始的な姿で闊歩している状態であるに関わらず、その貧しさに同情し、革命を啓蒙し扇動しに来る来客たちこそが、まさに別の意味での中途半端な先進国特有の精神の病に冒されている者たちだったという事情である。

ソダーバーグの映画の持つ野暮ったさのように、ゲバラの像について元から天性の純粋な人間であるかのように位置づけ描く遣り方というのは、やはりどうしても無理があるのだ。そこにはそう想定したがる人々のロマン主義的な信憑性があり、単純であるが故に病んでいる図式が見え隠れしている。革命とは、そういった単純さによって報われるものではないし、既に先進国的な知識人の位相から云えば、そういう意味で、革命とは最初から終わっているものであり、革命によって人間の基本が変更されたり、良くなったりするということは、根本的にないのだという認識になる。革命は別に人間を変えない。社会とは何かの理由から、次の段階へステップアップし、進化をすることによって、より合理的になり住みやすくなっていくべきものには違いないが、別にそれは革命という経験によって与えられるものとは違うのだ。大抵の場合、革命とはそういった社会的進化の形とは逆行している。

元から、第三世界の革命というとき、特に中南米の革命というとき、そこには何かしらの疚しい精神的要素とともに進行してきた現象なのだ。中南米諸国の左翼の実在におけるこの疚しさの存在を見ない限り、あそこで起きている革命の現実については到底近づけないものである。そこにはアメリカ帝国主義に直接的に晒される、搾取的な現実が赤裸々な形で存在している。にも関わらず、そこで左翼が機能することによって、また現実が別の方向で後退してしまうという、イタチごっこのようなアイロニカルな現実があるわけで、それらの全体を含めて、中南米的な受難の生として捉えられないでもないものだ。中南米の性質を見るときに、このアイロニカルな全体を見ないわけにはいかない。単純に哀れみと同情の反映を、一種のロマン主義として中南米の中に投影してしまうこととは、常に愚行なのだ。分かりやすい悪の姿によって潤うのは、結局資本主義の立場というよりも、中途半端な人間たちの精神的な病気の存在であるのだから。

サルトルゲバラのことを、稀に見る完璧な人間のイメージだと評したというが、写真の中のゲバラの美しさとは、明らかに、あれは他人から愛されたいと願っている人間の美しさである。葉巻を咥えたゲバラ、椅子に斜めに腰を下ろし踏ん反り返っているゲバラの姿、運動の合間に自分の余裕を見せるゲバラの、ちょっとしたカメラへのサービス。それらは明らかに、他者の承認を糧にし、他者から賞賛されることの喜びによって自分のプライドを磨いてきた男の姿が捉えられている。ゲバラの動機とは何ら超人的なものではなく、それは他者の視線に見られることへの喜びの強度から、次々と導かれてきたものであったのだ。キューバの革命には飽き足らず、ボリビアへと世界革命の輪を広げに移動していくゲバラゲバラにとって、革命のためのゲリラ戦を指揮にしにいくこととは、ある種のゲームにも似ている。彼にとって余裕の振る舞いであり、美学的なものである。しかもゲバラは明らかに特権的な司令官として、運動を上位から指示するものとして、あえて後進の農村地帯の組織化として、社会の下からの包囲する革命を指揮しようとして出て行く。映画の中で描かれているイメージでも、ゲバラコマンダンテとして振る舞う仕種とは、ワールドカップのサッカーでもこれからやりにいくような余裕を漂わせている。人が生き死にをかける革命の戦争でもある種の指揮的なゲームである。

ここには毛沢東の時にも見られた、同様の心的パラドックスの構造がある。社会の下部に接続するようにみえて、実は自分自身は人の上に立てるのである。ゲバラが生きたのは明らかに革命家のナルシズムである。そのナルシズムの仇花に、ボリビアの山中においての銃殺という、まるで彼自身が罪の償いとして自分のその滅亡を望んだかのように、ゲバラの死とは到来した。まるで筋書き通りであるかのような自分自身の、自分で選択された殉死の姿である。毛沢東ゲバラの与えたこのイメージとは、結果として、日本をはじめとした先進資本主義国の中の赤軍派に影響を与えたわけであって、それら時代的な事件の総体を振り返れば、それは決して良いものにはなりえなかったし、むしろ毛沢東ゲバラたちの背負ってしまった歴史的な業のほうが大きい。このパラドックスの構造こそが毛沢東主義の問題そのものといえよう。

ゲバラの残したものとは、論理ではなかった。それはただのイメージであり、写真なのだ。そして写真の中のゲバラに限って言えば、それは何処までも愛くるしいものに見える。現実には彼のせいで泣かされた人々の存在が少なからずいたとしても。しかしそれでも表面的なイメージだけが、ゲバラの存在感として残ってしまった。中南米という地域は、長い後進国の時代を強いられて生きる宿命の存在として、そこではいかなる論理によっても人は動かされることはなかった。ただイメージの存在だけが、人々の心に充溢を与えるのだ。最初にヨーロッパ人が植民地化として入植したとき、そこにはイエスのイメージを持ち込んだとして、次に来た被支配の段階として資本主義が顕在化した状態にあって、そこではゲバラのイメージが、そこに生きる人々の抵抗的な心を充たした。

後進的地域にとっては、論理によって人々の心が動くことは難しい。ただそこではイメージの力だけが、人々の飢えた乾いた心を満たせるのだ。これもやっぱりある種全体的な貧しさに理由をもつ現象である。これまでゲバラのイメージとはそのような人々の心を充分に占めてきた。しかし、論理構造によって、中南米の社会が動き出すことができるようになるとき、そのとき始めて、中南米の社会における被搾取構造の歴史が終焉を迎えるのだろう。論理構造の起動によってのみ、後進国の社会とは、自力で自らの搾取を清算する運動の状態に到り実現しうる。しかし社会の中に論理の構造が自力で到達するまでは、イメージの力によって、その社会とは生き延びなければならないのだ。イエスの力か、ゲバラの力か。ゲバラのイコンの歴史的な意味とは、そのような時熟する到来を待ち受ける間の長い忍耐の時間において、人々の祈りを吸収する、そのイコンとしての価値があるのみであり、それはそれできっとよいのだろう。イメージのイコンとは、中南米のような地域にとって、祈りの強度そのものなのだ。