擬似通貨はマルチなのか?−「円天」とは何よ

日曜の夜だが、テレビの報道バンキシャを見ていたら、ちょっと注目すべしニュースの特集をやっていた。擬似通貨を提供することで会員を集めている団体というのが、どうやら現在、日本で台頭してきていて、それがマルチ商法の疑いがあるという話だったのである。

登場してきた擬似通貨の名前は円天といって、それは1円=1円天として商品交換の単位になっている。円天を主催する団体はL&Gという会社である。頻繁に全国各地で円天市場というマーケットを開いており、それなりに賑わい、会員を多く集めているのだ。円天マーケットの模様を、ニュースでは取材しているのだが、賑わい方は相当なものである。来ているお客は老人達が多いと見受けられたが、市場自体は本物である。衣服から高級食材品まで豊富に商品が並べられている。北海道産の毛蟹、一匹2000円天という札が出ている。おばさんやおじさんがそれらを、はしゃぎながら買っていく。全部ただだから。彼らは笑いながら嬉しそうにそう言って回る。

どういうシステムかというと、会員はまず、一定額の円を団体に収めることで同額の円天を受け取る。円天とはヴァーチャルマネーである。円天の購買歴を計算して示してくれるのは、すべて携帯電話によるものとなる。携帯を押すと、あなたの残高円天は幾らですという表示が出るのだ。会員になるにはまず5万円のコースからあるみたいだ。円天マーケットの豊かさはどうやら半端でない。賑わい方も祭りとしての高揚も大したものである。だからこれは全国に会員を相当数伸ばしているのだが、報道番組のレポートとして、これは新種のマルチ、ねずみ講に当たっているのではないかという疑いがあるというものだった。

どうだろう?擬似通貨という物の展開だが、遂にここまで出てきたか、という気がしてやまない。通貨とは通常、国家の発行するものであり、その価値の実体とは、国家の信用によっている。しかし昨今では、まず店舗の保証するポイント制という形で、ヴァーチャルな補完通貨という次元が、商売上の効率からいっても、消費者の利便性からいっても、現実性を帯びたものとなり一般化してきた。国家の発行する一般通貨に対して補完通貨の流通を促し活性化させるという発想とは、他に地域通貨という考え方があった。

地域通貨は、地方の町興しや地域経済の活性化案として、その実効性が研究されていたのだが、一方では、左翼運動的な観点から、国家と資本の支配に頼らない自律した交換体系を生み出すものとして、それが左翼運動の基準にならないかという試みが為された。地域通貨運動の歴史というのは、辿っていけば結構古くからあるもので、自律分散型通貨の発行を自立的なコミュニティの創生に使おうという思想があったわけである。90年代ぐらいからその研究は日本でもよく知られるようになり、その後は周知のように、NAMやLETSのような、地域通貨を利用した新しい左翼運動の実験というのも為された。

しかしこういった複次的な通貨の存在が、果たして本当に左翼運動に寄与するものとなるのか否かという実効性は、実は疑わしく未だ証明はできなかった。とはいえ、一般的な行政の立場から、そして資本主義的な顧客獲得策の新たなシステムとしても、ポイントカード制を始めとして、補完通貨の導入とは、あらゆる方面から現実化したのが現在の状況である。補完通貨を多方面に横断的に使えば、社会福祉的な利用もあるし、また複数のシステム間の横断を簡略化する利便性も事実上有するわけで、スイカのカードなど、電車賃やバス賃など公共機関を横断的に使えるカードの存在は、既にもう実質的なものとして広まっている。しかもこういった共通カードの行く末は、いずれ携帯電話の機能に統合化されていくのだろうという見通しもある。

今回、円天という形で出てきた新しい商売は、要するにこういった最新の貨幣事情をテクノロジーとしてすべて取り入れた上で、それがマルチかねずみ講かわからないが、団体側にとっては新たに急速な利益を生む形式として、勢いよく台頭してきたということなのだ。かつて左翼的な地域通貨、LETS系のマーケットが為されていたときに、交換取引が全然活性化しないのは何故だろうとか、関係者は頭を悩ませていたのだが、それに比べると、円天マーケットの脳天気な活況の物凄いこと。物凄いこと。しかもそこにいるのが、年配者ばかりという現実も、見栄えとして可笑しな光景なのだが、円天で現地直送の蟹やら魚やら買ってる人達は、本気で信じ込んでるのだな。全部これただですから!

円天=L&Gのシステムはけっこう複雑みたいだ。会場の会員は、テレビの取材に対して、自分の携帯電話から円天残額を見せてくれる。一千万円単位で円天に注ぎ込んでる人も何人かいた。しかも揃って彼らは楽天的な顔をしている。どういうシステムでこの円天マーケットが成り立っているのか。ニュースは団体の社長も取材をしている。72歳というテロップが出てきたが、なんか決して頭のよさそうな顔はしてない、人物なのだな。これが。なんか鈍そうな感じなのだが、その鈍調な口ぶりで説明してた。なぜ会員を増やさなければならないんですか?だって、40億円の資本を集めたとしても、手元には常に10億は残しておかなきゃならないんだからさ。手元に10億なかったら、新たに資金繰りできないんだから。・・・

会員から集めた金で、円天のマーケットを開き、それらは実際に繁盛して実在している。会員には、最初に収めた金額は、一年後にそのまま戻ってくると約束してある。あるいは、定期的に最初の元手が高利子となって支給されるというコースもあるようだ。会員の方は、携帯電話で管理される同額の円天を使って、これの円の分は、一年経てば帰ってくるんだから、市場の買い物はただなのだと信じて、こりゃ極楽だとはしゃぎながら買い物に精を出す。新しい会員集めにも熱心となる。つまり、円天のマーケットが持続するためには、限りなく会員を増やし続けなければならないという宿命があるのだ。もし新会員の獲得が停まってしまったら、この自転車操業自体が破綻するのだから。

ニュースでは最後にコメントが加えられた。それは、元東京地検河上和雄竹中平蔵という二人のゲストだったが、河上は、これは明らかにマルチだと指摘した。竹中平蔵のコメントがまた面白かった。貨幣とは、なぜ貨幣であるのか?それは皆が貨幣だと信じているから、貨幣の価値が社会的に成立しているのです。円天の場合も皆が信じているから成り立っているのですが、円と決定的に違うところは、国家の信用という裏付けがないところです。だからそれが−皆が信じてるから、というのが崩れたときに、どうなるのか・・・と話していたのだが。これまた、竹中さんがここで持ち出した根拠とはまさに、マルクスの古典的な説明ではないか。マルクス資本論で言ったのは、「この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下としてふるまうからでしかない」ということだが、貨幣についても勿論同様に言えて、それが貨幣であるのは、ただ他の人々がそれを貨幣だと思って使ってるからにすぎないというわけである。こんなところで、竹中さんまでマルクスかよと思って、もうそれが可笑しくてたまらなかったのだ。