中国発メッセージの奇妙な反転

今年の三月に、中国の重慶で「史上最強の居座り」と呼ばれている事件がおきていた。都会の真ん中で、ビル建設のための立ち退き要求を拒否していた民家の話なのだが。中国においては、こういうケースは今までなかった話なのだ。巨大ビルを建設するために、一軒だけがどうしても要求に応じず、その結果、周囲の土地を広範囲に数十メートルも掘り下げてしまって、一軒だけがクレーターのような茶色い底の上に浮かんでいるという現象になってしまった。居座っているのは、そこで店を営んでいた一組の夫婦である。これが国際的なニュースとなって有名になり、この夫婦を応援する中国人民もたくさんいるようだ。反対夫婦は一躍、新しいヒーロー扱いである。テレビのインタビューを受ける奥さんの姿も、なんか芸能人と勘違いしてるかのような、ケバイ服装の井出達で登場する。地上げなどで、元からあった集落を更地にする場合、それに反対するものは、日本のように、通常の先進国で起きる場合、大体左派的な立ち退き要求反対の運動になる。例えばかつて昔は、日本で成田空港建設反対の運動で、三里塚に学生をはじめ活動家が多数集結し立て篭もるということが60年代から70年代に起きたわけだが、そのとき共産主義国家の中国から発せられていた国際的な宣伝放送としての北京放送は、三里塚の反対運動を、日本の革命運動として中国国家は支持するとのアナウンスをしていたという話である。もちろんこの話は、最初から何かおかしな話であるということが、分かるだろうか?

毛沢東によって発足した中国の体制では、そもそも「私有財産」というのが国家によって認められていなかったのだ。私有財産は個体的所有として、もちろん現実的な国家と共同体のあり方として必然的に存在はしているが、中国の体制的観点からして、その保護は最初から極めて不十分なものだった。今や中国は、経済力を急速に発展させ、大都市では、日本もアメリカも顔負けであるような巨大ビルが建っている。しかしこのような建設に伴い、日本だったら最も難解な問題として立ち塞がるはずの、住民立ち退き問題というのが、中国ではこれまで殆ど問題にならなかったし、できなかった。何故なら共産中国にとって、国家のために私人が土地を明け渡すことなんて、当然の事であり、そこに有無を言わせず強制収用することが、今まで当然として罷り通ってきたからだ。その強制力こそが、中国の経済的な都市整備を、他国には類例を見ないような急速なスピードで引っ張ってきた原動力の一部にもなっている。住人の私的な居住権、私有財産を根拠に建設事業に抵抗するという在り方自体が今まで中国では有り得なかった。国家権力の前ではすべての私的性質が無きものとされることは、国家の建前、信条からして当たり前のことだった。中国で土建事業をやるためには、今まで地上げ屋なんて必要としなかったのだ。建設の現場において、はるかに強力な国家権力が行使できたわけだから。最近になって、やっと中国の国家的な土地強制収用に対する反対運動が、民衆の側から出てくるようになった。しかしこれはやっとメディアの可視的表層に表出してきた住民運動であって、今までの中国では、そのような運動の可能性さえ抑圧されていたわけである。中国で、ダム建設に抵抗するため土地に寝泊りしながら反対運動している人々の群れに、明け方、組織的な暴徒が襲撃をしたという映像も、数年前には出てきて国際ニュースとして流れた。これは、国家が強制力を働かせることが自由主義的な前提で抑制されてきた分だけ、代わりに裏の暴力的な組織力を売り買いするような集団も出てきたということにあたる。

もともと私有財産の存在が抑圧されていた法的体制の国家で、やっと最近になって国家の強制力に対する反対運動が出てきた。こういった中国の反対運動の事実性を、日本のような場所からどのようにして的確に理解することが出来るのだろうか。ここには混同されてはならないポイントが潜んでいる。土地の強制立ち退き要求に対して反対できる根拠を示したのは、中国では先月になって、私有財産を保証する法律としての物権法が、人民代で採択されたからである。つまりやっと通常の商取引を巡る法律が、国家としても確認されえたから、重慶市のような個人の立ち退き拒否が、暴力的な排除も受けずに、こうして国際的なニュースになることができたのである。しかも当の反対住人の要求も、よく聞けばどうやら、立退き料の金額を政府との交渉で引き上げるために、ああして頑張っていたというのが本当のところみたいであるという始末だ。中国にはこうして、経済的自由の次段階の、実質的自由の覚醒が確かに訪れてはいるようである。しかし日本から、この中国の新しい自由の波を観察するときに、再び、最も陥りがちな誤謬の投影は避けなければならないだろう。日本では三里塚の闘争が行われている最中、日本も中国に引き続き共産革命を起こすべきだと信じていた人々が少なからずその中にはいたのだ。しかし実際の中国で起きていた現実とは、三里塚的な抵抗とは全く逆の原理による国家統制であった。それは主観的な意識上の本末転倒であったのだ。三里塚にエールを送った中国当局でさえ、破廉恥にもその矛盾に気付かなかったという間抜けな話である。