『硫黄島からの手紙』−自己否定の起源

  • 太平洋戦争の末期に、日本の本土はもうアメリカ軍に踏み込まれようとしていた。日本にとって本土を守る象徴的な拠点になっていたのは、太平洋に浮かぶ孤島、硫黄島の存在である。この島に特に資源があり経済が存在するというわけではなかった。ただ硫黄の匂いが周囲に立ち込めるこの島は、日本人にとって古くから神聖な島とされていて、神風によって守られる日本の国土にとって象徴的な先端に立つ、死守すべき砦とされていたのだ。
  • しかし日本の敗北は必至である。それは軍の内部でも暗黙に悟られていた。兵隊達の作業中にも暗澹たる気分が漂っていた。硫黄島を守るべく派遣された兵隊は、殆ど自らの身の上を左遷か島流しのように感じていた。どうせ生きて帰れるわけではないのだろう。塹壕のための穴を掘りながら、兵士が愚痴をこぼしている。こんな穴掘ったところで、アメ公に勝てるわけねえよな。・・・二宮和也が演じた一兵士である。兵士は大宮でパン屋を営んでいたが、ある日赤紙を受けて招集された。女房がいて身篭っていた。女房は泣いた。誰も帰ってこれた者がいないのに。しかしパン屋は渋々出征に応じた。愚痴をこぼしているのを上官に見つかれば兵士はまず鉄拳制裁を受けた。この島に最後の指揮官が訪れた。渡辺謙の演じる栗林中将である。栗林はかつてアメリカの地で学んだことがあった。リベラルな思惟の持ち主であり、日本がアメリカの持つ豊かな国力に敵う訳がないことを悟っていた。栗林は、硫黄島に赴任して、軍の中で蔓延る不条理な体質を一つ一つ改め、軍の統率を合理化しながら、少しずつ働く兵士達の身の上に自由な風穴を開けようとしていた。
  • 一隊が、すり鉢山と呼ばれる埠頭に穴を掘り攻撃拠点を作っていた。それは絶望的に憂鬱な作業だった。休憩時間に、兵隊たちの便所に溢れた糞を捨てることを命じられた二宮は、穴の外へ出て山の上から、米軍の軍艦が大挙して浜を包囲しているのを目撃した。米軍が上陸し銃撃戦がはじまる。すり鉢山はすぐに落城が確実になった。負けることが明らかになったとき、日本軍の兵士に強いられている掟とは、玉砕すること、即ち自決である。穴の中で集まった隊の者は、ひとりひとり『天皇陛下万歳』を叫びながら、砲弾の口を自ら切り自爆していく。最後に自爆するのは上官だが、ふとした偶然から二宮の前に上官が自爆してしまい、二宮はすり鉢山から逃げ出すチャンスを得たのだ。栗林中将の方針は玉砕を禁じていた。大事な兵力を自爆で失うことは単に戦力の喪失だと考えていたのだ。それが逃げる二宮にとっては心の支えになっていた。栗林中将は落城する隊の成員に、なんとかして逃げて本部に合流することを呼びかけたが、日本軍のオーソドックスな体質に従う上官たちは、兵士には高圧的に当り、逃げるものには制裁し、裏切りを執拗に禁じ、自決主義も譲ろうとしなかった。それらは当時の日本軍の内部に充満した死の本能の存在を物語るものだろう。
  • 天皇陛下万歳を云う事によって自己否定することとは、当時の日本の国家体制として必然的な構造だったのだ。近代日本人の歴史にとって、自己否定を云う事の起源とはここにある。そしてここにしかない。それは戦時体制的な総力戦の発想であり必然性であり、やがて戦後になって、このとき兵隊だった者の子供たちが全共闘になり、やはりこの自己否定の痕跡を反復することになる。しかしそれは日本の現代史においても、最終的に死の欲動の記憶とそれを裏付けるべく存在した主体性論のイデアが解体し消滅していくプロセスだったのである。
  • 映画の中では、アメリカ帰りのリベラルな指揮官と硬直した思考の反動的上官の対立として、極限状況における生を巡る構図が描かれている。反動的な上官を演じたのが中村獅童である。栗林中将の側に立つリベラルな上官は、かつてロサンゼルスオリンピックの乗馬で金メダルを取っている上官として、伊原剛志が好演している。この対立は、玉砕すること=自決することと、生き延びるために逃走することの対立として、クリント・イーストウッド監督によって設定されている。それは自己否定することと逃走することの対立である。結局、硫黄島の戦闘において、最後まで逃げ延びることのできる日本人とは誰なのか?そして彼にはなぜ、生きのびることが可能になったのか、という条件を、イーストウッド監督は示しているといえるだろう。
  • 日本軍の実体は、追い詰められれば追い詰められるほど、人間の極限状況にて晒される醜さの修羅に遭遇し、もう日本人のひとりひとりにおいても、積極的に生きる意志など明らかにみな喪失していく。そんな中で、偶然の積み重ねの中で生き残ってしまった者が、ただ盲目的な意志で逃げ道を探し、歩き続けるのだ。やがてそんな彼らもひとりずつ力尽きて倒れていく。・・・彼らに、生の意志が持続していたというわけでは決してない。硫黄島にて修羅場を見尽くしてしまった彼らのすべてにおいて、生への未練などもう欠片も残っていなかったはずなのだ。それでも最後まで生きようとして逃げ続けていたのは、ただ彼らにとっても到底理解できない、盲目的な力の実在によってのみである。硫黄島で玉砕を経験した日本兵にとって、生きるための意志などあろうはずなかった。しかしそれでも生きのびてしまった。身体の中に蓄えられていた、過剰で盲目的な力の存在によって。
  • この目には見えない、決して積極的な実体としては示すことは出来ない、しかし本当に生にとっては実質に当たっているのだろう、過剰で盲目的な生の欲動を描くことが、そもそも監督の目的であったのではないかと考えさせる。それは生の本能の実在を描写することである。そして戦争の中で描かれた彼ら登場人物にとって、この生の本能とは、明らかに善悪の彼岸に存在している。しかし最後に栗林中将を中心にして集結した日本兵にとって、それは盲目的に道徳への意志へと収斂することをも欲していた。最後に人間の生の意志が自ずから道徳的な統一を求めようとする様である。例え彼らにとって最後のそれがやはり、天皇主義的な神格化と緒のついた儀式性だったとしても、本質的には生の本能と道徳本能にとって、その器、入れ物については何でもよかったのだという無常な彼岸性を明らかにしながら。
  • クリント・イーストウッド監督がこの映画で作り出している構造は、死の欲動と生の欲動が対立し、拮抗しながら日本軍という一個の有機体の中で闘争を繰り返し、そして生の欲動が結果的に、ある逃走によってそこから漏出していく様である。日本軍という有機体は死の本能によってそこで自滅したが、そこから細胞が零れ落ち、それは記憶を媒介し、遺伝子として新たな生の体制に回収されたのだ。