ヨーロッパの裏アソシエーションの歴史

宗教教団の乱立して抗争を繰り返した近代までのヨーロッパの歴史が垣間見れるところが『ダ・ヴィンチ・コード』の面白いところである。ヨーロッパの地全土を舞台にして、かつての宗教教団の乱立する様というのは現代史で言うと左翼の様々なグループが興亡を巡っている様を見ているようだ。人間社会というのは昔から同じような事をやっているのだ。テンプル騎士団のような騎士団の存在というのは、今で言うと左翼の党派みたいなものである。このテンプル騎士団の過激さというのが妙なラディカリズムを発散しているのだ。日本にもたしかテンプル大学とかいう大学の日本分校があったかと思うが、−アメリカの大学の日本分校ブームというのが90年代くらいにあったのだ、しかしあの頃の大学は今でもやっているのだろうか?最近は少子化の時代だとかいうが−テンプル騎士団の歴史というのが興味深いのだ。

最初は第一回十字軍の時、12世紀に始まった。騎士団というのは相互扶助的な互助会組織であるわけだ。それで自立性をもちいろんな事をやる。共同体も作るし学校も作る。ギルドと似たようなアソシエーションでもあるのだが、テンプル騎士団の場合は金融機関を作って発達した。中世のヨーロッパでまだ銀行が発達していなかった時代にテンプル騎士団は巨大金融機関として、各国を股にかけて国際的に発達したのだ。それで大きくなりすぎてフランス王フィリップ四世によって壊滅させられることになる。異端審問にかけられたわけだが、権力が弾圧を行う際の条件的な建前として当時の異端審問の根拠とは、入会儀式における男色行為の容疑、反キリストの誓い、悪魔崇拝といった容疑の名目で弾圧が行われた。さながらこれは、今だったら権力が弾圧する際あるいは共同体的な排除が行われる際、「セキュリティ」とか「セクハラ」における不審の容疑の掛け方と同じような方法であったのだろう。

1307年10月13日の金曜日に、フィリップ四世はテンプル騎士団を何の前触れもなく一斉逮捕した。異端容疑で騎士団のメンバーを捕まえて「罪」の「自白」が出るまで拷問を行った。テンプル騎士団は異端の汚名を着せられて、その財産は実質的にフランス国王のものとなった。フィリップ四世は資産を没収し終えると騎士団の指導者たちの処刑を指示した。彼らはシテ島にて生きたまま火あぶりにされた。「13日の金曜日」が不吉であるという逸話は、この事件によって言われたことである。

現在のカトリック教会の公式見解では、テンプル騎士団に対する異端の疑いは完全に冤罪であるということになっている。しかしテンプル騎士団はその後伝説化しテンプル騎士団と出自を結びつけて自らを神聖化したのが、あの悪名高くて有名なフリーメイスンであるわけだ。フリーメイスンというとなんかユダヤの裏の組織、謎の陰謀組織みたいに噂されることが多いのだが、実際には騎士団の頃からの伝統を受け継ぐ、ヨーロッパの自立互助会的なアソシエーションであったのだ。

元々フリーメイスンとは、ヨーロッパでは広く流行したアソシエーション団体だったという事実はある。モーツアルトとかゲーテとかバッハ、ベートーヴェンとか、カサノヴァとか、ディドロダランベールヴォルテールみたいな百科全書派とか、サンシモンなどはフリーメイスンだったのである。マッカーサーとかチャーチルとか、最近ではナットキンコールまで、フリーメイスン。なんかこんな風に列挙していくと、創価学会の会員で、実はティナ・ターナーやサッカーのロベルト・バッジョまで学会だというのと同じレベルの話になるのかしれないが。(笑)しかし、日本人にも一時期フリーメイスン加入が流行っていたようで、西周とか坂本竜馬吉田茂フリーメイスンだったそうな。