先週の事だが

あかねに立ち寄ったところたまたますが秀実氏と遭遇した。これから同人誌の座談会をやるというので関係者たちと準備をしていた。id:NakanishiB氏も含むそれである。そのまま店の中で座談会の進行を横目で見ながら過ごした。会は無事終わり、ビールを飲んだり冷麺を食べながら雑談した。

寺山修司の『書を捨てよ街へ出よう』という映画があったが、その中にすがさんは実は役者で出演していたそうである。寺山の話が出たので僕はその繋がりで大島渚の話をふった。大島渚の特に60年代後半にとっていた映画の話である。寺山の劇団が全盛だった時代の話にも繋がる。その頃の大島渚に『新宿泥棒日記』という作品があるのだが、あれはまさに当時の劇団の中にあったセクハラ的な文化、レイプ的な文化が露骨に反映されているという話を振った。

座談会の話自体は面白かった。その中のテーマの一つには何故だかセクハラというものがあった。どういう風に繋がるかというと、新左翼的な劇団の歴史を振り返ったとき、昔は酷かったという話である。すがさん曰く、劇団には「フロイト的原父」のような存在が必ずいて大体劇団員の女性がそれに手をつけられてしまう。新左翼の初期において(あるいはそれ以前でもそうだったのだろうが)劇団を取り巻くある種の野蛮な文化性にはレイプ文化というのが伴っていた。そんな時代があった。今の劇団の体制というのは、それの反省の上に立っているという話に繋がるのだ。新左翼の初期にあった暗黙に権力的、権威主義的な共同体の傾向とはセクハラ的な文化の存在そのものであったという過去の反省を踏まえる話であった。

司会をやったのは京都からよんだ三脇さんだが面白い話をしてくれた。彼は現役の臨床医でもある。フランス留学していたのでフェリックス・ガタリの働いていた精神病院、ラボルド病院にも詳しく、ガタリがラボルド病院について語っている本の翻訳もしている。ラボルド病院でも医師が患者や職員と関係を持たないようにという規律があるのだが、しかし必ずそれを破ってしまうのがガタリだったという。規律は常に決められているのだが必ずそこを侵犯してしまうのがガタリである。本来笑える話でないのだが、侵犯が即ち革命的だとでもいう信条がガタリにはあったのだろうか?その話を関西人独特の笑いで聞かせてくれた。しかし今ならガタリの振る舞いが「原父的」だと糾弾されてもしょうがないだろう。ガタリというビッグネームだから許されるという段階では、もはや時代がなくなっている。

それで大島渚の初期作品であるが、これらにはまさにその当時の転倒した権力性の反映というのが露骨に画面に刻み付けられて残っている、という話を振ったのだ。今の人が見れば、特に何の前提もなくそれを見ればまず陰惨な気持ちに覆われることだろうと思う。しかしその暗黙のレイプ文化の映像の中には、当時の時代の特徴を示す何かのリアリティがあることもわかるだろう。大島作品だけでなくそれは当時の時代的状況として若松作品や足立作品にも連動している。

もちろんこの新左翼の中にあったセクハラ的な文化の存在とは、今の左翼的慣習性との間に明らかな断絶があるのだ。歴史的な習慣性が何処かで切断されている。同じ左翼を自称する集団性であっても、そこで何かが断絶されて位相が変更されているのだ。しかし恐らくそのまた根本に見出されるメタ的な性質としては、左翼とは依然として殆ど変わっていない。その表面的な部分における何かの言い分が変更されているだけなのだ。

今の若い左翼の人達が、これら大島初期作品を見たら間違いなく驚く。昔の左翼とはいったいなんと残酷なことをやっていたのだろうかと。それは残酷な共同体的儀式性である。否、それより理解力のある人は単に驚くだけでなく、その先にあるもの、その底にあるものについて深く納得できることだろう。そして古い左翼の人がいま改めて大島初期作品を見直したら、何かの苦虫を噛みしめるはずである。『新宿泥棒日記』以外では『日本春歌考』、『儀式』、『東京戦争戦後秘話』などに繋がる傾向性である。また女性の立場を中心に撮った『夏の妹』にさえ、この無自覚な権力転移としてのセクハラ文化の存在はやはり基調に流れている。しかし大島渚は70年代のある時点において突然これらネガティブな陰影から吹っ切れるのだと言ってよい。70年代のある地点で大島渚は突然よくなるのだ。

しかし、表面的な見せ掛けの部分であれ、左翼とは歴史的な切断として、ここの側面において何かが切断されているのだという記憶は、忘れてはならない、見落としてはならないものである。