ちょっと面白い写真を

mixiで拾った。写真にはこういう但し書きがしてあった。

「フラワートラベリンバンド@日比谷野音
全共闘数十名が『ROCK粉砕!』と角材片手にステージ乱入→しかしバンドメンバー&スタッフで返り討ち→全共闘メンバーがステージ上と楽屋で半殺しにされる。
怒ったジョー山中のワン・ツー・パンチの格好良さ…
これはまさしくROCKとROCKの融合(笑)

う〜む。何年くらいの写真だろうか。たぶん70年代で前半である。全共闘数十名とかいうけど具体的には何処のセクトだったんだろうか?ROCK粉砕…たしかに昔の左翼ならそういうスローガンも言い得る、そういう潜在的な可能性はもっていたことは理解できる。付け加えれば、ジョー山中のバンドを狙い打ちにしたこれは、ROCK粉砕にプラスしてヒッピー粉砕というところだったのだろう。

この写真はこのまま現代史的な価値があるのではないかと思う。(もし写真が説明通りのもので本当なら。なんか見ると結構変な写真だ。襲撃したという全共闘とはなんで裸で喧嘩してるのかもよくわからん。ロックを襲撃するには裸で角材をもったほうが粋だとでも考えたのだろうか?変なゲバだ。笑)ロックは最初−といっても60年代から70年代のつい最近の出来事であるのだが日本にとって洋物の一部で外来の文化として入ってきて、日本の文化的土壌にとって内在的に育ってきたものではなかったので文化的な敵対意識を持つ人がそんなに珍しくなかったのだ。外来文化とかいう書き方をするとなんだか明治以前の話であるみたいだが、しかしこの時期にあってもドメスティックな縄張意識というのは日本人にとってまだ残り滓を引き摺っていたのではないかと思う。左翼では内ゲバが一種の文化スタイルのように覆ってしまった時代である。

特に最初に左翼にとって嫌われたのはヒッピー文化である。あいつら『労働』もしないで、なよなよして、チャラチャラしてかっこばっかつけて気持ち悪い奴らだ・・・という認識の方が日本では主だったわけだな。当時の日本のヒッピーが欧米のそれと比べると相当に情けない、恥ずかしい代物だったという事情はよくわかる。それは想像に難くない。

ロックを嫌っていた文化人ということで記憶にまだ新しいのは中上健次である。中上はジャズの熱狂的な愛好者であったことは有名だが、ロックに対してはすごくわかりやすいセクト的な敵対心を顕示していた。もちろんそれがわかりやすいメカニズムの好き嫌いで底のないもので文字通り、昔流行した言葉でいえば『表層的』なものだったことは、その後しばらくしてレゲエがボブ・マーリーのイメージとともに入ってきたときレゲエのイメージに飛びついたのも中上健次だったという事情からもよくわかる。レゲエはロックの延長上にジャマイカで発達したリズムの形態であるわけだし、ロックは嫌いでレゲエが好きという趣味判断の傾向とは無理もある。中上がいかにレゲエに没入したかというのは、彼のエッセイ集「バッファローソルジャー」というボブマーリーの曲からとったタイトルにも現れている。同時に中上的行動パターンの分かり易さもよく示している。

今の左翼の事情から、大体30年前の日本の左翼ではロック粉砕とか叫んでいるのが結構普通にいたのだということは想像できるだろうか?この頃から左翼は変わったのだろうか。否、別に体質としての左翼とは、全く変わっていないでしょう。