直接的体験を媒介し増殖させるものとしてのロック

ロックという形式の誕生において発生の当初、コンサートという形式は不可欠であった。それは何故だろう。オーディオ装置から体験を伝播させるための流通メディアの状況が、六十年代においてまだ浸透力が乏しかった。メディアの規模自体もまだ小さく、何か事件が何処かで起こったとして、それを伝えられる情報の伝播力とは、せいぜいが国内に留まったものだ。出来事の情景が視覚的な条件と音響的な条件を兼ね備えた形で残しうる、そしてそれを対象として他所へ伝えうるという方法論としては、まだ映画に収めることに頼らざる得なかったのだ。これは六十年代という時代の絶対的限界である。革命的な事件は、大都市の片隅でよく勃発した。事件を伝える方法とは、それがテレビで報道されること、まずカメラのうちにその事件が捉えられなければならない。しかしテレビが登場して一般的な普及を果たした当時の先進国の状況にあって、この映像による情報の伝播力とは最初に衝撃的なものとして受け止められた。情報の力とは即、もうその時からは映像のインパクトである。そして映像に伴う音響の存在である。

この機械化された情報網の有機的な誕生は、同時に凄まじい相乗効果を伴って、世界の各国に連動し、アナーキーな増殖をはじめた。ロックの増殖とは当時に飛躍的な勃興を遂げた映像技術の力の発展と不可分なものとして現れたのだ。そのときロックとは同時にビジュアルの事でもあり続けた。

ロックによって届けられるエレクトリックに歪まされた過激な音響とは、ヴィジュアルとしての過激さも伴い、そこにはロックという概念を中心とした一大ファッション体系も現れた。このようにしてロックという合言葉が総合的な精神性の自己主張性として、世界中の若い人間たちの間に伝染しうるようになったのだ。

ロックとは何よりも直接的な体験である。それはオーディオや映像によって切り取られ保存された他所の場所の体験として最初伝達されるが、活字文化とは異なる位相に出現したそれら直接的なメディア装置とは、場所と場所の距離感を喪失させうるほどに、無媒介的な体験の再生装置として、中毒的に機能しえた。

これら伝達装置の機械的発展とロックの増殖力とは不可分なものである。ソニーからマツシタ、マッキントッシュといった電機メーカーの発明し商品として開発されるオーディオメディアの次々と技術的な新陳代謝を繰り返す中で、商業的なコンテンツの中核として、ロックによる無媒介的な体験性の増殖とは、繰り広げられていった。その拡大は新たなる資本市場の拡大であるとともに、そこに乗せられて拡散されるコンテンツとしてのロックとは、それがもたらされるあらゆる地域にとっての自由の意識の洗礼であり、新たなる自由のスタイルの啓蒙効果をもたらしたのだ。