隠喩としてのletsⅤ

それにしても、通貨の流通の内部から通貨が通貨自体で脱構築しうるとは、いかなる事態をいうのだろうか。そもそも通貨あるいは特殊な経済圏の力が国家的でメジャーなる一般的な経済体制(主には資本主義経済)に対抗し、拮抗し、そこに変革的な契機をもたらしうるようなことが本当にあるのだとしたならば、どのようなことを指していうのか。それは特殊経済圏における流通と交換のスピードとそれによって動的に構成されうる密度の高さと熱さというのが、資本主義経済に対して勝りうるような瞬間であるのだろう。内在的な特別経済圏が一般体制的経済を脱構築しうる、打ち破るとは、そのようなビジョンであろうか。

インターネットで顔の見えない倫理的な関係および交換の構築というので始められたQシステムの場合で云えば、決定的なその欠点とは、流通速度のあまりにもの鈍さだった。あまりに交換のスピードが遅すぎる。これが顔の見える内輪的なベースが存立しうる共同体の交換であったならば、流通のスピードとは速くもありえたはずである。すくなくともそこで行われる交換と流通というのは具体的な生きたものでありえた。交換と流通のスピードが速くなるとは、そこには動的で内在的なる経済圏の自立性というのが立ち上がってくるという事態である。一般的な資本主義経済に、特別経済区が対抗しうる力というのは、経済区の内部におけるこの内在性の密度と熱さの力に他ならないのだ。それは交換と流通の活性化=スピードの向上によってもたらせられる。というかそれのみしかその経済圏が生きているという証拠はありえない。

資本主義を内在的に打ち破りうるものとは『流通速度』による。交換の活発化とは具体的な生活の現実性と必然性に根ざしている。抽象的で思弁的な主義でそこに立ちいることは全くできない。少なくとも経済戦争の力によって資本主義に対抗し、更には打ち負かすというのは、そういうことであるのだ。そして意識の力によってこの流通速度を作り出すことはできない。流通速度に対しては絶対に虚構をもてないし、嘘もつけない。流通速度とは絶対的なものである。意識の介入によってその絶対的な自然現象としての物理学を体現することはできない。ただ構造的に正確なポイントのみを囲いながら、人間たちの流れと交流の流れに、運動体の前提となる場所とストラクチャーをつぼを突くように与えてやっていくことでしかない。

一般的経済のシステムにとって理想通貨とは存在しえない。何故ならそんな思弁的な前提を強いられるものを、普通の人間は使わないからだ。主体性や意識の力や更には義務の観念によって、人は消費活動を行えない。むしろそのような硬い条件が突きつけられれば人間の性質とは、何処までも惰性的に逆の方向へと逃げていくだろう。消費社会的な人間の性質とは、どこまでも欲望の動物的な解放であり、エネルギーの昇華活動であるのだから。そして貨幣とはその本質からいって、顔のないものであり、匿名性の代行条件を可能にし、抽象的であるが故に自由であり、無責任であるといった性質から、なによりも人間の無意識の欲望としての動物性を解放させる力に、その人気の秘密はあったのだ。貨幣が貨幣として人間から好まれる理由である。匿名であるが故に自由である。抽象的で顔がなく無責任であるが故に自由である。欲望をひそかに解放しうるこの匿名性の力こそが、貨幣の回転に内在的なスピードと威力を与えている。しいて云えばそれが資本主義の原動力の一部である。経済が経済的に内在的で自立的な力によって対抗・競合しうるとは、貨幣と欲望にまつわるこの関係を見なければなるまい。物質的で物理的な力が欲望と貨幣の体現として表出してくるこの空間、消費の渦巻きである。

しかしそこまで考えてみると、どうやら地域通貨的な経済圏でスピードが、資本主義の本丸のそれ、欲望と消費と動物性で巻き起こされる高回転のスピードにかなうことは、ありえないという結論にしかならないだろう。ということは、やはり先の理論家たちが構想していたように、あちこちに点在する疎らな群島のようにも、資本主義社会のここかしこに、穴をささやかにも開けていて、つつましくも静かなるマーケットを定期的に開催することの中から、じわじわと資本主義社会の全体の中には、侵食していくことを、現実的なビジョンにしていくしかないということになる。資本主義批判としての地域通貨運動にとっては。

マイノリティのためのマーケット、人間たちの交流の姿というのも、何かの形式の社会的な脱構築の一つにも入るのだろう。穏やかで静かな日曜日の午後的なる資本主義批判の交流風景である。このような静けさとスピードの緩慢さににおいて、革命的だと考えることもまた実はリアルな営みではある。スローフードでスローなライフのリズムの静かな響き。そのような戦略的な遅さによる脱構築も、本当はより一層のラディカルな潜在性の風景ではあるのだ。常に新しい友人たちを求めて新しいアソシエーションを模索する。