アナーキズムとその前提

1.
非暴力という前提の元でこそ、社会では真にアナーキーな状態というのが調和的に実現されうるのだ、とガンジーは語っている。(「私の非暴力」)人間の自発性のレベルが、あくまでも自然に解放されうる状態の条件とは、非暴力が約束された前提の社会状態のはずである。ガンジーのこの洞察は確かに鋭い。的を得ている。アナーキズム的で社会的な自由の実現とはだから非暴力的な条件が前提とされる。このとき非暴力とは個人にとって外的なる脅迫的な強制がないということである。それは実際の暴力行為がないということも含むが、何よりも強迫的に個人を脅かすような不安要件がないということが本質なはずである。

アナーキズムというのは一般的にいっても定義が定まらない。そのように決まった定義や原理をもてないからそれはアナーキズムなのだともいえるだろう。アナーキズムとは非暴力なのか、あるいはそれは暴力的なものも含みうるものなのか。NAM原理の場合はアナーキズムに属するものであるのだが、しかしそこには特定の原理的に厳密な要求が為されていたものだといえる。(それはコミュニズムよりも本当はアナーキズムのウェイトの方が高いはずだったともいえるのだが--個人の自由の尊重の概念の、建前からいえば。しかしアナーキズムなのに妙に厳格な原理的従属が要求されていた点からいえば、やはりあれはコミュニズムに過ぎなかったともいえる)

2.
マルクスが「プロレタリア独裁」の概念を考えていたときそこには暴力的な革命の運動力の推進というのは前提とされていた。マルクスにとってはそれはどのような意味であったのだろう。まずマルクスは、民主的な他者との対話過程(ブルジョワ的な議会主義、議論の形式)においてはカヴァーしきれない、過剰に重要で性急なる真理の次元というのが、「革命」には含まれていると考える。プロレタリア独裁の概念に見られる思考の萌芽とはいわば「方法的独我論」といったものなのだ。

方法的なる先行を手段として選ばれた独我論=独裁的が、結果においても真と出るか偽と出るのかはケースによる。そのような方法独裁を実行する主体の判断力や直観力に依存する。加えてもっと大きな条件とは偶然性に左右されてるともいえるが。だから常にそこには賭けが伴う。しかし人はそのような、あらかじめ完全なる真理を含みうるものではもちろんないのだが、論理的な仮定で仮象としての判断力の次元で実践的には事を進めなければならないという遭遇のほうが、多くの場面のリアリティなのだ。

独断的な判断の裁量を許すというのも、自由の理念の機能的な一部である。そのときの個的で特殊な判断の自由というのは、他人の自由の判断と対立するし、他人の抑圧もする。その対立を乗り越えて先に物事を展開しうるものとは結局、権力闘争であるという事実性もあるだろう。それは至ってニヒリズム的な真理である。権力闘争の条件とはそこには暴力的なものを含みうる。政治力の推進に何か性急に事を駆り立てられてスピードによってそこを乗り越えなければならないようなときは、特に暴力的な決断を伴って行われるものだ。

暴力的なやり方ではない、民主的で非暴力的なプロセスを経るものであっても、そこに純粋に非抑圧的で卑怯なものを含まない非暴力がありうるというわけでも決してないものだ。非暴力というのはどんなに高く見積もってもそれは表面的で形式的なものにすぎないともいえるものだ。暴力的なものの隠蔽が不可能だという立場が取られるときは、逆に非暴力主義のそのような陥穽を突く。

マルクス的なプロレタリア独裁概念と、ガンジー主義の非暴力や不殺生、寛容の理念とは明らかに矛盾を来たしている。この絶対的な矛盾は柄谷行人においては、ただそこに並列して置かれているだけで、厳密な繋がりというのは誰にも理解できなかった。というよりも元からそこには内容があったのかどうかも疑わしいものである。

しかしこのような矛盾を「絶対矛盾的自己同一」なる類として済ましておくわけにもいかないものだ。むしろNAMの組織体質の持った結果的な傾向性についていえば、対話的かつ民主的な過程を踏み越えて(具体的には独裁的裁量で)強引に物事を進めていくスタイルとは、目の前の具体的な他者を踏みにじり明らかに傷を負わせながら進行していく根拠が、常に、そのように進む自分は「未来の他者」に対する責任を捉えているのだという言い訳にあたることになるのだろう。

3.
他者との対話可能性を巡る問題構成において、現代的な状況をを体現する論調としてリチャード・ローティとユルゲン・ハーバーマスの二人をあげることができる。しかし柄谷行人ハーバーマスなどの論調に関しては批判的な態度をとる。その論旨はいわばこういったものだった。ハーバーマスの視界に入っているものは彼と同じ西欧の市民社会という土壌にある生きている人間だけである。彼は死者、そしてこれから生まれてくるであろう人々のことについて考慮してはいない。ハーバーマスとは異なり、カントのいう「物自体」には死者、そして未来の人々が含まれているという。ハーバーマスとは、討議を重ねることによって共通感覚 common sense の構築を可能と考え、それを目指す市民社会主義者としての矮小化されたカントであるにすぎぬ。

これに対してローティは、狂人 mad であるかもしれない、即ち得体の知れない他者の不在がポスト冷戦期の思想を特徴づけるものであると指摘するものだ。しかし柄谷に言わせれば、話し合えば理解し合えるハーバーマスの他者と相対主義に基づいた想定の枠内に収まるローティの他者、両者はともに理性の枠組みのなかで認識しえる程度の他者でしかありえないということになっている。

ハーバーマスの対話的理性には未来の他者のレベルが欠けているという。しかもいつもの論調だと思われる。しかしそれはハーバーマスと対立したフーコーの例を考えてもわかるように、対話的理性を信じない、対話的理性の裂け目を見る思考とは、必ずしも未来の他者性を媒介にした、システム化自体の自己強化性を意味してはいない。このときフーコーの指摘は正しくとも、柄谷の否定神学的な円錐性の再強化とは誤っている。

超越点として常に遠点を設定することによって現在性の平面を吊り下げる。これはアイロニカルな神学システムの典型的に現象する構造であるのと同時に、絶対矛盾的自己同一といった矛盾する自己再帰性をカヴァーする思考の形式でもある。しかしその未来の他者も何処にいるのか定かには示すことさえも実際にはできなかった。むしろこのような形で提示される未来の他者性とは虚焦点でありトリックでもある。

これは、ネガティブに埋まれている不可視点に基礎を置かせる微妙なる否定神学的共同体ではあったのだとしても、具体化しうる現実的な社会運動としては、やはりなにかの原理的な欠陥があったのだということになるだろう。原理的欠陥の代表をあえて挙げれば、LETSという実効性も疑わしい不確かなシステムにNAMの組織自体が根拠を置くと宣言したことにあったはずだ。実際このLETSの導入を何処の関心系運動体のセクションでも押し付けるが故に(実際の加入にしても思想的な内面性のベースのレベルでも)みなどこのセクションも自立性が剥奪されては中央に従属的なものとしか機能せず、あるいは単に不活発に沈黙に陥るだけだった。LETS自身についていえば、それはまだ実効性の面で何ら具体的な裏づけもない、仮説段階の通貨的ロジックだったのだ。

4.
独我論を方法的に押し付けていく仕草が彼らの頭の中では、未来の他者への忠実であるという事情であり、そういう論理形式になってしまっているのである。更にいえばそれの根拠とはマルクスプロレタリア独裁概念の解釈にある。これは言い訳としても抽象的なものではあるのだが、未来の他者=脳内的な独我論(つまりそこにはやはり最初から自己しかいない)というスタイルが、組織の中ではもう出来上がってしまっていて、であるがゆえに組織内部でそのようなスタイルに批判を加えることが出来なくなってしまっていたのである。

その反映として「子」たる会員たちにもたらした集団的な性質とは、非常にネガティブで嫌味なものにすぎない。(否定的な前提に色を抜かれた神学的セクト主義に特有の性質)実際NAMで改造された形で導入されていた概念の相当数の部分とは、既に60年代に出来上がっていた新左翼的な概念の中にその起源を見ることは易しいのだ。結果的にそのような絶対矛盾的自己同一の思考(オカルト的にも見える目眩まし=詭弁論理も含む)からNAMの組織の引き継いだ体質とは、日本の現代史における否定神学的体質であったのだ。

NAMの現象とは系譜学的に左翼史の中で見てやれば、それは明らかに日本の一部左翼の妙な生真面目で神経質な体質の再生産であったことは理解できるものだ。実際、NAMは左翼的な理念の理想的なる奇麗事を掲げることと同時に、同時代的にありうる他の陣営左翼には挑発的な否定性を投げることを常としていた。そして何故そのような優越性と特権性が許されるのかと問えば、何故なら自分らは未来の他者への責任と通じているからだという回答の形式になる。

要するにそのスタイル自体がすでに無意識的にも歴史的なものであり、しかも柄谷が「世界宗教」として挙げる事のできた宗教、キリスト教イスラム教というのはいずれもみな、一神教としての排他信教である。それらの宗教の中核にはみな否定的で原理主義的なリゴリズムが歴史的には潜んでいる。それらは原理主義的であるのと同時に一方では闘争的で対抗的な自己拡大意識(啓蒙主義)ももっている。柄谷行人が再生産させて「21世紀に向けて」プログラムしようと企てたものとは、そのような宗教システムと共産主義の歴史に起源のある、アイロニカルな神学意識の構え、そして辛い、主体性の構えだった。

5.
「絶対矛盾的自己同一」というのは、西田幾多郎から黒田寛一埴谷雄高といったラインを経てカヴァーされていた思考の形式である。埴谷雄高の「不合理ゆえに我信ず」とか「永久革命者の悲哀」といったものがまさにそれに当たる。そのような埴谷雄高的なスタイルがいかがわしいものである事を指摘していたのも、実は柄谷行人本人ではあったのだが。批評空間の共同討議でもよくそのような指摘は為されていたものだったとは記憶するが、しかし当の柄谷自身が、まさにそのようなスタイルの思考の罠に実はハマッテイタ人間なのだと、今になっては言わざる得ない。

「絶対矛盾的自己同一」型の思考に特に影響を受けていた痕跡が見られる作家とは、他にも大江健三郎などが挙げられるはずである。それが現在版のそれのバリエーションとして柄谷行人とともに文学的に機能していた。大江健三郎埴谷雄高から受けていた影響性というのも大きいのではないかと考えられる。しかしそのような傾向のライン上にある大江健三郎的なものの影響とは日本で根深いと思う。特に全共闘世代などの場合は、まさに思考様式がその辺りの一連の思想性で、凝り固まっている傾向もある。