インド的風土の性質

ガンジーヒンズー教徒の凶弾に倒れたときこのように云ったのだという。「おお神よ…」しかし出自としてはインドのジャイナ教系だったガンジーにとって神の意識とは「それはキリスト教の神であり、ユダヤの神であり、ヒンズーの神であり、イスラムの神である…」要するにガンジーが神というときの神学的な意識というのは至って曖昧なものであったわけだ。それは厳密な神学というよりも漠然とした神の意識である。それは様々なる異なる神に対して許容的であるのと同時に、教義の儀式性に対してあまり拘りもない故のリベラルさも含むのだろう。

ガンジーは国内で民衆が暴徒化など問題を発生させるたびに、自分は断食に訴えた。ガンジーが断食をやめるときは民衆が暴動をおさめるときだ。そしてまた何かの事件が起こればガンジーは再びハンガーストライキに訴えた。そしてガンジーの葬儀の方法とはヒンズー系で行われているらしい。ガンジー自身の口から出るものとは「博愛主義的な世界精神」だったのだとしても、それがそのままキレイ事として民衆の次元まで反映されているわけではない。

イギリスボイコット運動の中にあった帝国への対抗性というのは、やがて独立の後には、曖昧ではあったが潜在的だった先鋭性として、イスラムとヒンズーの敵対性へと転位していくことになる。博愛主義的なる世界精神というのが結果としての「排外的なナショナリズム」を乗り越えられないことには(いつも)何かの理由があるだろう。抗争の激化が増すにつれてインドのイスラム派はパキスタンとして独立することになる。

インドとは元々神々の意識としては多神教的なものを許容する風土であり、文化の多様な交差点としてのインドの歴史自体が曖昧で多様なる神々の次元をリベラルに許容するという傾向も含んでいたのだろう。(それは仏教、ヒンズー教ジャイナ教イスラム教、キリスト教とインドは宗教的な交通の歴史的なる大交差点であったのだから。)対してイスラム教やキリスト教などの場合は一神教でありかつ排他的な信仰の形式である。ガンジーのもつ曖昧な神学性というのもやはりインド的あったといえる。ガンジー自体の演出とは殆ど宗教の総合商社みたいなものである。

ガンジー」の映画の中で、塩の行進の時に、もはや世界的な有名人と化していたガンジーアメリカやイギリスのプレスの白人が同行して話しを聞くという展開がある。ガンジーに同行し取材する記者の役をマーティン・シーンが演じている。(この映画の前にはマーティン・シーンは「地獄の黙示録」に出演している。アメリカのヒッピー左翼としてはやはり彼と同じように有名なデニス・ホッパーと一緒に。)プレスの西洋人とともに歩く「ガンジー」の演出を見ていて、ガンジーの演じたスタイルというのはやはりそれがキリストのものと似ている。塩の行進自体がキリスト的なパロディである。あまりにもキリスト的な演出であり演技であった。

何かキリスト的な身振りの模倣が現実にインドで起こり、それがしかもイギリスという伝統的なキリスト教国家の帝国主義的な植民地の反抗として、そのような擬似キリスト的ともいえるパフォーマンスが演じられ、それが報道されることによって世界的なニュースの事件として広まったのだとすれば、それは西洋キリスト教国家の支配構造の中でその支配構造自体を奴隷の位置から反転させてやることによって脱構築しえた事件であったともいえる。キリスト教的な支配構造の中から、奴隷の立場のキリスト的な反転の抵抗として支配構造自体が壊れたのだ。

しかしそれでもやはり、もしこの非暴力行進の抵抗運動の事件について、それが当時発達しつつあったプレスの報道網のシステムによってもし報道をされなかったのだとしたら、ガンジーが世界的な世論として関心を呼び共感されて、そのような倫理的な共感として、あくまでも非暴力的に抵抗運動が終了してイギリス側に平和に和解しうるという展開もやはりあり得なかったのではなかろうとも見えるものだ。つまり非暴力の抵抗運動が成功する条件とは、それが現代的なメディアの流れに乗ることによって倫理的な共感性としての世論を世界的に共同に構成することによってしか、そのように抵抗が平和的に終焉する仕組みというのはあり得なかったものだろうというものだ。

インドの独立運動とはそのような意味でも現代的な世界の機械的な発展段階ゆえに基づくものだった。非暴力主義とはそれが外側に向かって宣伝されなければ、決して実際に政治的な「力」とはなりえないということでもある。