反復される『Wild Horses』

1970年にローリングストーンズはアルバム『Sticky Fingers』を発売する。これはローリングストーンズにとって画期的な転換を遂げたアルバムである。ジャケットの製作をしたのはアンディ・ウォーホールであった。レコードジャケットの中央部にはファスナーがついていてジーンズの下腹部が大写しにされた四角いジャケットから、そのチャックを下ろすとレコード盤が取り出せるという仕組みになっている。60年代の終わりにストーンズブライアン・ジョーンズの脱退を経た。ブライアンはその直後に自宅のプールで水死した。ブライアンの死体にはドラッグの大量摂取の痕跡が見られた。最初はビートルズに追随する形でデビューしたイギリスのバンド、ローリングストーンズであるが、ストーンズの場合、ビートルズよりもよりブルース色の強いサウンドが売りであった。ビートルズよりもより黒いイメージで売り出したロンドンのバンド、ローリング・ストーンズである。ストーンズの志向性とは必然的に表のビートルズのイメージよりも、より不良的なものを抱え込んだ。60年代ロンドンの文化にとってより不良的なものの実在とは、サブカルチャーであり、左翼的なものだった。左翼的な騒乱やヒッピー的な流浪によりシンパシーを与え、60年代末のカオティックなイメージを抱え込んだストーンズ的な進行とは、60年代末に『ベガーズ・バンケット(乞食の晩餐)』と『Let it Bleed』という二枚のアルバムによって完成を見た。当時のカウンターカルチャーのエッセンスが、この二枚のアルバムには凝縮して詰め込まれている。そしてこの間に起きた出来事が、ブライアン・ジョーンズのバンド内での孤立化と脱退、そして水死である。

ストーンズの再起動にあたっては、後任のギタリストとして、ブルージーなソロワークに優れたミック・テイラーが加入した。ハイドパークにて、ブライアンの追悼コンサートをした後、70年代に入って最初のアルバム『スティッキー・フィンガーズ』を完成させたのだ。単に若々しくアナーキーな実在であることから、このアルバムでストーンズは一皮剥けたのだといえよう。そして70年代においてストーンズとは、ストーンズたる由縁の彼らにとって独自のスタイルとしてのロックのスタイルを完成させていくことになる。ストーンズストーンズたらしめているこのストーンズサウンドの完成過程とは、ここから80年発表の『Tatoo You』まで続くことになるだろう。そして『Tatoo You』において明らかに最後に、ストーンズはそのストーンズ性としての成長が止まることになる。ストーンズが自らの生成として終わったのはこの80年の地点においてである。『スティッキー・フィンガーズ』から『タトゥー・ユー』までの10年間というのが、ストーンズストーンズであった最もストーンズ的な時代であったわけである。

そしてストーンズが70年における最初の脱皮の過程で、過去の騒乱的な60年代のイメージを振り返り、総括的に語った曲が、『スティッキー・フィンガーズ』収録の曲、『ワイルド・ホーシス』ということになるだろう。『ワイルド・ホーセズ』で語られている情緒性とは、ある種の過去との訣別の辞である。この過去と訣別するためのある種の決意性の意志こそが、ワイルド・ホーシスという曲における、高密度に凝縮された感傷性のクリスタルな結晶と化しているのだ。『Wild Horses』とはストーンズによって演じられた名曲の一つである。この高密度で透明な感傷性の結晶体は、以後歴史の中で他のアーティストによっても繰り返し演じられることになる。

ローリングストーンズにおける真にストーンズ的な生成とは基本的に80年で終わるものだ。そういう意味でストーンズにとって実質的に最後のアルバムとなっているのは『Tatoo You』である。しかしストーンズがロックミュージックというジャンルに与えた影響とは多大なものである。ビートルズよりも真にロック的なもののイメージとは、実際にはストーンズ的なものの実在である。ストーンズのエッセンス、ストーンズ性とは多くのミュージシャンに広まり伝染し拡大していった。ロックを一個の時代的ムーブメントと考えたとき最も重要なそのエッセンスとは、このストーンズ性、ストーンズ主義の拡散の過程にあるといえる程のものなのだ。

それではストーンズストーンズ性を最も良く、正しく継承したアーティストとは何処にいるだろうか。ストーンズ主義とは無数に世界中に拡散している。その数も数えていけばきりがない。日本のRCサクセションは80年代において明らかにストーンズ主義を演じることによって日本で市場を広げヒットしたのだ。(最初のRCサクセションはフォークロックのグループだった)ストーンズ性とはそれを真似する事によって上手く演じられるもの、実現できるものでは全くない。ストーンズのエッセンスが伝達されるためには、やはりそこには上質で先験的な何かスタイルが対象の側にも必要とされるのだ。

そんな中でも最も正当なストーンズ主義の継承といえるバンドとして、一つに80年代後期に現れたバンド、ガンズ・アンド・ローゼズの存在を挙げることができるだろう。GUNSNROSESというバンドがかくも巨大なバンドとして後期ロック世代において成長した理由には、彼らには二つの主要な源泉があって、一つは彼らが最も正当にストーンズ主義を継承しえたという事と、もう一つは彼らが最も正当にレッド・ツェッペリンを継承したという事の二つの理由が考えられるのだ。

ガンズのギタリスト、スラッシュが再上演したワイルドホーセズの素晴らしさがここにある。91年の東京ドームでのスラッシュの演奏である。

この通り元ガンズのギタリストのSLASHこそが最も正確に良く、ストーンズ性のフレージングとグルーブを指先で表現しえている。あまりに彼のワイルドホーセズの完成度が高いゆえ70年代にストーンズで育ったロック的な感受性とは、ここで完成されると同時にもう終わっているともいえる。それは、技術的にはストーンズの曲を演じるのに、もうこれ以上の完成性とはありえないほどである。しかしもうロックの内部で発展はこれ以上望めないとしても、ストーンズ性とはやはり反復されうる。それだけの実体たるものを彼らは確実に歴史的に産出したのだ。ストーンズの名曲『ワイルド・ホーセズ』による感傷的な物の凝縮と回顧における回帰性とは、これから先もやはり反復されるだろう。それはストーンズの生み出した絶対的な名曲であり、我々にとって絶対的に不可欠な精神性、情緒性である。

Wild Horses (Jagger/Richards)

子供の時代 生きるのは容易かった
君が欲しいものなら なんでも僕が買ってやった
恥知らずな女の人よ 君は僕が誰だかわかるだろう
君はわかっている 僕が君を手放せないということを

 野生の馬よ 僕を引き摺って いけなかった/野生の馬は 僕を引き摺っては いけなかった

君が鈍い痛みに苦しんでる姿を 僕は見た
そして今 君は決めた 前と同じように僕に示そうと
何も掃いて清められないし ステージラインの外に出てしまう
僕の気持ちを苦くさせるし 君に不親切するだろう

 野生の馬よ 僕を引き摺って いけなかった/野生の馬は 僕を引き摺っては いけなかった

僕は君の事を夢見てる 罪のように嘘のように
僕には僕の自由がある でも時間はもうない
信じていたものが崩れ 涙が溢れ出す
僕らが死んだ後にでも また生き直そうか?

 野生の馬よ 僕を引き摺っていけなかった/野生の馬よ 僕らはいつか 跨るだろう/野生の馬は 僕を引き摺っては いけなかった/野生の馬よ 僕らはいつかは 跨るだろう

しかし、ミック・ジャガーの書いた歌詞を見る限りワイルド・ホーセズを書いた時の具体的な心境というのは、小室哲哉華原朋美に、さよならを送った時のような感じ?つー、ところじゃないのかな。しかし、そういうコンテクスト的な文脈を離れても、この曲、このメロディ、この楽曲というのは、ある種の絶対的な抽象性に到達している。であるがゆえに、Wild Horsesの世界観とは崇高たりえている。とでもいうか?