霧雨の中の70年代−フリートウッド・マックの70年代

フリートウッド・マックの過去の資料を幾つかyoutubeで見つけることができる。それはフリートウッド・マックが一番良かった時期、輝いていた時期、70年代の映像だ。

フリートウッド・マックの音楽を正確に受け止め、正確に理解できる季節とはいつだろうか。それは春から夏に季節が変わる渦中の季節、ちょうど梅雨期にあたる雨の日々、あるいは一年の中でそれは再び、季節が冬に入るまでの穏やかな秋の季節、やはり雨の多い日々の季節にあたっている事だろう。雨、そして湿り気のないところでフリートウッド・マックの音楽を理解することは不可能なのだ。昔のフリートウッド・マックの映像に刻まれている風景とは、70年代という時代にとって本質的なものに見えるものだ。それは空気が湿り気を帯びた曇り空の下、霧雨の中で、決してそこにある湿り気に逆らわずに音楽を調整して、しっとりと演奏を続けるバンド、フリートウッドマックの姿である。

元々、フリートウッド・マックの起源とはイギリスで結成されたブルースバンドであり、それが70年代に大幅にメンバーチェンジと音楽のトーンチェンジを為し、イギリスよりもむしろアメリカを描写するような形で活躍したバンドである。初期のフリートウッドマックの代表作である『ブラックマジックウーマン』とはサンタナにカヴァーされて、むしろ彼らのものより有名になった。70年代のイメージチェンジにあってその要となったものとはヴォーカルのスティーヴィー・ニックスの加入。そしてギターのリンジー・バッキンガムの加入である。

フリートウッド・マックの70年代に果たした役割とは、ロックの形式を初期のエネルギッシュなものからは鎮静化させて、静かな情緒性に溶け込む、静かな水の流れの上へと定位するようなアダルトな性的成熟を表現する方向性に形式化していった点にある。それはロックにおける静かな成熟の過程であり、ロックが大人のジャンルへと静かに成長して定位していく過程であった。その時、音の表面からはロックのエネルギッシュな熱は奪われていった。代わりに霧雨が降るように、空から降る霧が止む事も知らないように、延々と終わらない静かな快楽的音調の反復をくりかえしていく。流れていく、溶け込んでいく新しいポップス、新しい音楽のイメージを切り開いたことにあったのだ。

フリートウッド・マッククリントン元大統領の夫妻と仲が良いことも有名である。彼らはクリントンのパーティでもよく演奏している。クリントンの象徴しているものが、70年代アメリカの遺産を担う意味でのリベラルイメージである事を考えれば、それは必然的なイメージの結びつきである。ビルとヒラリーのカップルにとって、彼らの成熟の過程とは、精神性としてはまさにフリートウッドマックのサウンドが進化した過程に重なっているのである。フリートウッドマック性とは、ビルとヒラリーにとって彼らの青春そのものであり、その青春が大人になることを強いられて従っていったプロセスのイメージ、そのものなのである。フリートウッドマックの70年代には霧雨のイメージがよく似合う。この霧雨とそぼ降る雨の細かさと大気の微妙な暖かさの調和とは、そのまま70年代のアメリカの空に微かに開かれていたリベラルの可能性のイメージそのものだったのだ。それはアメリカ社会の歴史にあって最後の上昇のイメージ、最後の希望のイメージだったのかもしれない。この霧雨を体験していたアメリカ人たちは、もう皆いい大人になったのだ。

フリートウッド・マックの立場を揺ぎ無いものに確立した記念碑的な作品となったのは、1976年のヒットアルバム『噂・Rumors』である。これに収められているのがスティーヴィー・ニックスの歌う名曲『Dreams』である。『Dreams』という曲の完成度は素晴らしいものである。この曲の根強いファンも多い。それは世界中にいることだろう。

Dreams (Stevie Nicks)

こうしてまた あなたは出て行くのね
あなたは自由を欲しがる
そうね 私はあなたを留める者かしら?
正しいこととは 
ただあなたが感じたままにやることなのだし

でもよく 
注意深く聴いて見て
あなたの孤独を
それは心臓の鼓動みたい 
あなたを狂気へ導く
想起の静けさの中で 
あなたが持っていたもの 
そしてあなたが失ったもの
そしてあなたが持っていたもの
そしてあなたが失ったもの

稲妻とは 雨が降っている時のみ それは閃く/プレイヤーとは ただゲームをしている時のみ あなたを愛している/そう 女たちが 来ては また出て行く/雨があなたを きれいに洗い上げる時/もうみんなわかっている

そう こうしてまた私は出て行く 
私にはクリスタルなヴィジョンが見える
私はこのヴィジョンをキープする
私しかいない
あなたの夢をラップして包むのは そして
あなたは何か 
売れるような夢を持っているの?

孤独の夢
心臓の鼓動のように 
あなたを狂気へ誘う
想起の静けさの中で 
自分が所有していたものを
自分が失ったものを
そして自分が所有していたものを
そしてあなたが失ったものを

稲妻とは 雨が降っている時のみ それは閃く/プレイヤーとは ただゲームをしている時のみ あなたを愛している/そう 女たちが 来ては また出て行く/雨があなたを きれいに洗い上げる時/もうみんなわかっている

フリートウッド・マックの楽曲、そしてそのセンスというのは結局、アメリカにおける良心的なモラリズムを支えるものとなっている。それはフリートウッド・マックが独自に彼らだけ、切り開くことの出来た美しさ、風景、美学的な境位である。アメリカの人々は本当にこの曲を愛している。

79年には『SARA』収録のアルバム、『TUSK・牙』を完成させる。このときもうフリートウッド・マックサウンドとは完成されている。その後80年代のマックは、MTV文化の波に乗って最もよく聴かれるうるポピュラーミュージックの一つとして定着したが、彼らにとってそのサウンドの本性とは、これら70年代における音楽的生成の過程に本質的に属しているものであり、70年代のアメリカに起きていた精神的な出来事の変遷と、それは切り離せないものであったはずなのである。フリートウッドマックの音楽とは70年代を本質とするものであり、そこから見られたときのみ正確に理解されうるものだ。