敗北の文学の敗北、という結果をどう認識すべきなのか?

宮本顕治の『敗北の文学』を読んでいて面白いと思ったのは、既にこの論文において「自己否定」という言い方が出てきているところである。この物言いが、どの辺りに起源のあるものなのかは、宮本顕治以前のプロレタリア文学の草創期過程を振り返られなければ出てこないだろうが、自己否定という概念が、既にこの論文において、1929年当時に、自明のものとして使われているのが面白いと思った。これは日本で共産主義運動が一般的なものとして最初に確立されてきた時代だが、このとき宮本の世代に先行するものを見たとき、小林多喜二は1900年生まれで29年には「蟹工船」を発表している。日本でプロレタリア文学の前提となったのは1910年代の後半から出てきていて、現場での労働体験を持つ一群の作家たちによる作品は、後に大正労働文学と呼ばれることになる。こういった新しい文学の流れは、大正デモクラシーの流れと連動して出てきたものである。

プロレタリア文学が形として明瞭に形成されてきたのは、1924年に発刊された雑誌「文芸戦線」であり、平林初之輔青野季吉が携わったわけだが、すぐにプロレタリア文学内部にも対立が生じ、中野重治や蔵原惟人などが活躍しグループを担った。28年には、ナップ=全日本無産者芸術連盟が結成されている。ナップで中心的だったのが、小林多喜二と徳永直である。そしてプロレタリア文学の代表的な雑誌として「戦旗」が出てくることになる。宮本顕治が登場してるのは、まさにこういった、プロレタリア文学の草創期の渦中においてである。宮本顕治が書き始めた頃には、既に、プロレタリア文学の前提と問題性みたいなものは、一通り、全体的に出払ったところであったといえるのだ。宮本顕治の論調では、もう既にプロレタリア文学は自明の前提として、概念の攻撃的な鞭を振るうものとなっている。

宮本顕治の提示している芥川龍之介に対する疑念とは、要するにこういうことである。彼の苦悩とは、自我に始まり自我に終わるものにすぎない。彼が徹頭徹尾自我から抜け出せないのは何故であるのか。自己への絶望をもって、社会の絶望に置き換える彼の迷路とは、小ブルジョワの致命的論理である。芥川の自殺を知って、宮本が考えたものとは、それが芥川の文学的出発点にあって既に内在的に規定されていた、必然的な到着であったということ。芥川の生活の型を振り返ったところ、その生活圏が小ブルジョワの圏域を出なかったことは明らかであるという。芥川の文学は自己否定の漸次的上昇を具体的に示しているものであるが、彼の文学に捺された階級的烙印は、それを文学の敗北という方向に導いたのだ、という話である。21歳の宮本顕治の発しているメッセージとは、自己の内にある芥川的なもの=苦悩主義的な、ナルシズム的で小ブル的な自己を、自己否定せよということである。これは一個の論調としては、それなりに分かりやすく、故に感染しやすい、引き込む重力を放つものではあったのだろう。

宮本の言葉には、実践的自己否定とかいう言い方も出てくるのだが、既に、宮本のいた環境では、自己否定という用語を普通に使いまわすような状態が出来上がっている。要するに、それは日本で左翼と共産主義思想が、翻訳をもとにして立ち上がり出来上がってきた過程のことであるが、プロレタリアという観点から、小ブルジョワ的な文化形態を総括しながら、超えていくのだという論調で、統合させようとしている。宮本が主張しているのは、日本のプロレタリア文学は、内容の革命から形式の革命へと移行しつつあるものだという話である。内容から形式への移行とは、ここで何を意味しているのだろうか。自我について見つめたとき、それを自己の形式として、抽象化し、客観化し、対象性として社会的な形成として置き換えるということを意味するものだろう。それが芥川文学の場合、とことんまで自我の内容を追い込んで対象化しながらも、その自我の連動的な形成過程が、社会的な共有や、階級的な限界性の分析にまで、芥川の自力では及ばなかったと言っているのだ。そしてこの後、小林多喜二が、築地署で獄死するのが、1933年なのだが、日本は、すぐファシズム特高の時代に入ることになり、社会は戦争に突入していく。そして終戦になって、日本共産党は解放され、戦時中も非転向を貫いたという神話をもって、宮本顕治共産党の主導権を握る時代がしばらくあったわけだ。

初期型の日本プロレタリア文学のコード形成というのは、改めて見直してみると、その概念形成において最も単純で、把握するのに分かりやすいところが面白いと思う。また同時に、この分かりやすさとは怖さである。自己概念の形成過程が、脱芥川というところからはじまって、実践的自己否定とは何か、階級的自己とは何か、と突き詰めていった挙句、その自己は、何処に回帰してきたのか、あるいはプロレタリア的自己とは、結局消滅するものになったのかとか、それらの問題がはっきりしてくるのが、また60年代から70年代に、形を変えて、プロレタリア文学のコードが復活しつつも、もう一度こんどは、権力の手によってではなく、自滅という形で、潰えていく現象を見据えてのことである。共産主義、そしてプロレタリアという概念の最も傾向的に孕みがちな危うさというのが、1920年代によるプロレタリア概念の形成過程に、露骨に分かりやすいものとして示されている。この分かりやすさの構図ゆえに、起源的に、共産主義的主体性の構造と問題性を、改めて明瞭に把握する手掛かりは、この過程、プロレタリア文学の立ち上がりから、それが宮本顕治的に回収され、抑圧されていく過程の中にこそ、ある種謎解きの為のキーが眠っているのではないかとは、考えられる。