25-6 (Train in vain)



それから数時間のあいだ僕らは空港の時間が来て解放されたロビーのソファを利用して、眠ったり語ったりを何度か繰り返していた。

僕らの飛行機が出る時間が近づいてきて、同時にロビーは東京行きの人々で埋まってきつつあった。ソファに隣同士で疲れた身体を休めながら、僕と究極Q太郎は何かぼんやりとしていた。もうお互いに体も精神も疲れ果てていて、とても理論的な言葉が出てくるとはいえない位まで、内部の感覚は空港の風景で飽和していた。究極さんは狭いソファに座り顔は俯きがちで、疲れきった身体を持て余しつつ限りなく顔は奥へとひっこんでいくように見えた。僕らはそれほどもう疲れていたのだ。このまま静かに癒してくれることを心から願っていた。

飽和している身体から見えるのは、大きな曇空の下に窓の外をゆっくりと往来している巨大な飛行機の姿か、湿って蒸し暑いロビーの中でごった返している人々の雑多な姿だった。JFK空港のアナウンスが日本語で鳴っていた。


−−了−−



25-5

1.
「なんだ。つまりそれは、舐めたらあかん、というレベルの話かい。国家のレベルでも個人の実存でも」
「まー。。。そういうこともできるかな」

「いいじゃんか国なんて。滅びてしまえば。。。でも、そういうわけにはいかないのかな?」

「そうだな。。。」

「まず恥のない国は滅びるでしょう」

「でもね。結局プライドとは、私はそれをできる!という感覚のことなんだよ。可能性と自信の感覚のことも指している。そして価値を巡る感情のことだ。ニーチェはそれを価値感情と呼んでいたのだと思うよ。」

「だからプライドなしに人が商売や仕事をうまく為しうるなんていうことも考えられない。」

「その言葉は、信用の感覚も指しているからね。」

「ポジティブな感覚として人間の中で生きている。いわば希望の感覚とプライドの感覚は重なっている。しかし同時に人間にとってネガティブな感覚、つまり他人を差別するような感覚の中にもやはりプライドの構造が根ざしているようなことも事実だ。」

「それは人間にとって不可避な、多義的な感覚の持ちようなんだよ。。。」

「プライドとは他者の承認を求める心でもあるから。」

「そして、他者からプライドを受け取りに行く行為というのは、とても大変なことだよ。」

「それはたぶん、神聖な行為でもあるね。」

「プライドは社会的に、日々、移動し、交換されているからさ。」



2.
「ただひとつ。事実として、人間は強いからプライドを持つのではなくて、弱いからプライドを持つんだよ。」

「普通人間というのは、プライドから自由になれないよ。」

「しかし、歴史上の人物を振り返ると、この人はきっと、プライドを持つことから自由だっただろうといえる主体が、一人いるね」

「誰だいそれは?」

イエス・キリストだよ。」

「キリストが?。。。でもそれはどういう意味だい?」

「彼は民衆の下から語ると同時に上からも語れたという。奇妙な語り方のスタイルを発明した人だね」

「キリスト自身には個人的なプライドはなかった。ただ愛があり、それは神への愛であると同時に他者への愛があったと。。。でもちょっと待って。でもそもそもイエスは人間だったのかい?」

「ははは。伝承においては少なくとも厳密にはイエスは人間とは違うな。そういえば。」

「イエスは神の子だよ。」

「神であると同時に人間であるという中間というか媒介を生きたんだな。」



3.
「イエスはきっとプライドという自意識から自由に生きれたと思う」

「だからイエスはそもそも人間じゃないって!。。。傍から見ればでもそれは狂気だからなあ。。。でもそれは後世に反映して作り上げられたただの伝承でありフィクションではないのかい?」

「そうだな。現実のイエスと見做される人物が実在したなら、彼は自意識の病にも相当悩んだはずなんだが。。。」

「もしイエスのように国家が振る舞えば、その国家は自滅するか、あるいは真に強い国家ならば、うまくプライドという奇妙に鼓舞する意識を、他の国家に譲渡することで紛争を消せるというのかい?」

「理論的にはそう信じられてきたから、キリスト教は今でも続いてきたのさ。しかしキリスト教がそれを実現できたことは、周知の通り一度もなかったよ。常にその宗教は戦争の理由になってきたさ。」

「自己犠牲というイデアの嘘ということか。。。」

「現実の人間様というのは、イエスよりも、キングコングの方にはるかに性質が近いのさ。」

「しかし、自分は神の子だと、他人から否定されても言い張るところに、イエスにとって、自分だけは特別だという、プライドにあたるとても原始的な意識の形があったのではないかい?」

「なるほど。イエス自身が自らを民衆に対して低く頭を垂れれば垂れるほど、そこには神の子としての特別な意識があったということか。ここでもやはり奇妙な特権意識を交換にして、極端な犠牲を可能にしていたんだ」

25-4

1.
「でもさ。エンパイアステイトビルの地べたからは見えなかったアメリカのプライドでも、ビルの上から眺める景色には、よっぽど壮大な迫力とその強度に迫るプライドが感じられるということではないのかい?」

「なるほど。ビルディングがあればそれは上まで昇らないとダメだったのか。そのビルディングが存在してることの意味を知るためには」

「そうだよ。かつてはキングコングも登っていたエンパイアステイトビルじゃないか」

「ははは。じゃあぼくもいちいち金払わないで勝手に外側からよじ登ってやればよかったのかな。昨日は、有料であること分かってるし、しかも入場料結構高いらしいし、もう夜だったから上まで行かなかったよ。」



2.
「僕らはまるでニューヨーク市の下水道みたいに暗く地味でしつこく走る地下鉄ばかりで移動していた。しかしこの街の意味は高みから踏み込まないとよく見えなくて不明な部分もあるよ」

「だったらぼくらの散歩は最初から国連本部でも入れておくべきだったでしょう。でもそういう景色はテレビで見られるよ。ぼくは下水道のような地べたから見た角度のほうが、ずっとリアリティがあったよ」

「でもね。もし国のシンボリックな部分がプライドによって統合されていなかったらどうなるだろう?これは深く、何故人間はいつもプライドを何かに託して必要として生きているのかという意味にもなるけどさ」

「もしプライドを持たなかったら、その国は滅びるだろうね」

「プライドを持たない国は滅びるって?」

「そうだ。それはもう古代中国の孔子諸子百家の哲学からテーマになってるよ。そもそも辿れば古代に中国の哲学とは、よき国家と悪しき国家の存亡を巡る必然性から始まっているよ。だから最初からそれは切羽詰まった問いだった。何故ならそこでボヤボヤしてる人間はただ真っ先に殺されて消されてしまうような激しい原始的な生存競争が起きていたから。それも単なる生物の生存競争ではなくて、人々にとって精神的な意味を巡る生存競争だったわけだからさ。」



3.
「そのプライドというのが虚構であってもかい?」

「そう。虚構か本当かは実はどうでもいい話であって。精神的な統合がうまく情念的にも為されない国家は、まず他の国家との競合で負けてしまう。つまり嘘でもいいから国が滅びるのを避けるためには、常にそんな意味不明にも突然他から押し付けられる競争にも耐え切れるだけのシンボルを必要としていた。つまりそれが精神にとって、プライドの発生して象徴的に発達し進化してきたことの意味だよ。」

「それは国家についても言えてるけど個人が生きるということにとっても同様なことがいえると?」

「そう。国家も個人もまとまり方としては同様だ。似ているんだよ。何よりもまず、他者の存在に脅かされて、自分は滅びないために、何だかわからなくても、その統合する意味は、必要とされてきた。」

「つまりそこに意味は不明で説明しきれなくても、なぜだかそれは必要とされてきたということかい」

「他者への脅威ということもあるけど、そこには他者への恥ということもある。。。だってプライドという言葉にとって、複数ある対義語の一つである、恥の感覚というのは、元来そういうもんでしょう。恥の感覚は、必要だけど、必ずしも積極的なものではない。恥を自覚できない文化は、そりゃあ滅びるよ。。。」

「そういうことだね。空気のように人はそれを吸い込んで、また吐き出しながら、生きているよ。」

25-3

1.
「それで究極さんは、昨夜いったい何処にいたんだい?」
「ぼくかい?。。。ぼくは、だから。。。エンパイアステートビルに行っていたよ。。。」
「なんだ。本当にエンパイアステートビルまで行ったんだ。それで。。。深夜のエンパイアステートビルに、何かいいことはあったのかい」

「そうだ。。。ヤクの売人に話しかけられていたよ。マリファナかな」
「それで?」
「もちろんそんなもの買う金はもう残ってなかったよ。ただその売人のお兄ちゃん、イタリーかスペイン系なのかな?兄ちゃんと話してたら時間が少し潰せたよ」

「なんだ。それだけかい?まるで没落している白人階級に深夜のレッスンを聞いていたというようなもんだな。エンパイアステートビルの地上にはこの国のプライドをしっかり証明できるものは見当たらなかったのかい?」

「この国のプライドか。。。それはとても地べたからは見れなかったな。想像もつかなかった。。。それはどこで見れるんだ?。。。」



2.
「けっきょくアメリカという国に相応しいようなプライドが見出せないのかい?そうだ。僕らはそういえば念願のスクワットハウスにもここニューヨーク・シティで辿りつけなかったね」

「そうだなあ。。。スクワットハウスか。。。ベルリンの時にはもっと簡単に見つかったんだけどね。でもきっとこの都市の何処かには、あそこと同じようにアナーキストたちが群居していて彼らの奇妙なライフスタイルを常時発明しているような、そんな場所があるはずなんだが。。。少なくともぼくはそう信じているよ。。。」

「なんだ。。。やっぱりいざという時にはアナーキスト頼みが最も親近感あるということかい。」
「ちょっとしたアイロニーかな。ぼくらがそんなにアナーキスト達に助けてもらう術を心得ているというのは」

25-2

1.
早朝の閑散とした空港ロビーの中でエスカレーターに立ち、上昇していった。広々した空間の中でまだ僕の他にこの長いエスカレーターで乗ってる人は一人もいなかった。しかし無駄に贅沢に電動のエスカレーターは時間の中で律儀に運動を続けていた。そして静かなロビーだった。天井も高い。

聞こえてくるのは忙しげな掃除の物音だけだった。後はエスカレーターそれ自体の動いているモーターの音。まだ人間の気配は薄いロビーの中で響いているのは。

それが上の階まで到達したとき、目の前に広がるのは、向こう側にまだ動いていない搭乗用のゲートが無人で並んでいる風景と、手前には、利用者たちのために備えられた白く簡易な椅子とテーブルが並び、両側にはまだ開いていないそこをカフェのように使うためのコーヒーやハンバーガーの売店の数々だった。

一見すると無人のように広がるその白いテーブルと椅子の合間に、一人だけ、究極Q太郎が、疲れきったように座っており、肩をたれ、目をつむり、頭をうなだれ、そこで眠るように座り込んでいる彼の姿だった。



2.
僕はからだの内側からアドレナリンのような快感物質が放出し広がるような気持ちを、自分の背後から脳天にかけて突き抜けるように感じた。そして嬉しくなった。

最初にそれを見つけたときはエスカレーターの頂上に上り切った場所で、彼の数十メートルくらい手前で発見したものだろうか。

そこから僕は駆け出していき、わざと足音を高く上げるようにバタバタと技巧的な走り方をして興奮をからだで表現しながら、そして首をうなだれて座っている究極さんの手前まで猛スピードで突進していって、ぶつかる寸時の直前でピタリと止まった。

何物かに急襲される時のような人間、あるいは動物の本能をそのとき彼は感じ取っただろうか?

急激な物音の接近にも特に驚くだけの気力もないように、彼はダルそうな首を上げて向けた。ナニ?という感じで。

「きゅー、きょく、さんっ!」

ホップ、ステップ、ジャンプ、という節で。僕は笑いが止まらないように呼びかけた。

あー。。。という感じで、メガネをかけた顔を上げ彼は僕の顔を確認した。

彼はきっと昨夜はよっぽど疲れきるほど歩き回っていたのだろうて。思えば深夜には吹雪に見舞われていたニューヨーク地方の天候だったのである。

25-1

1.
42番街で買ったアメフトのボールを枕にして床の上に寝ていた。JFK空港の待合ロビーである。室内は特に寒すぎるということもない。しかし夜の間に外は激しく吹雪であったことは知っている。その痕跡は今でも伺われる。着ていた黒い革ジャンは下の床に熱が奪われていくのを防ぎ、ニューヨーク市立大アートン校に向かう途中の道すがら中東系の浅黒い男が経営してる小さな店で買った褐色のコートを毛布のようにかけていた。それでなんとか短い夜のうちを過ごせたようだ。

目をあけると室内はさっきよりも何か慌ただしい。人が雑談する声も響いている。それは他者たちの世界からたしかに声が聞こえてくる。そこには確かに他者がいる証拠だ。疲労と覚醒の合間に朦朧としながら意識が形を取ってくるのを待っていた。

意識が人間の形をして再び戻ってくるのを、ぼおっとした気持ちで待ちながら、僕の頭の中に、反復し、響いていたのは、何故だかスザンヌ・ヴェガの歌だった。思えばそれは不思議な曲だった。不思議な意味の歌だったかもしれない。僕はずっとこの歌の意味がわからなかったのだ。



2.
ぼくの名前はルカ
ぼくは二階に住んでいる
ぼくはきみの上に住んでいる
そうきみはぼくの事を見た事あるはずだ


きみが夜遅くに何か聞いたら
何かのトラブルか何かの諍いか
それが何なのかぼくに訊いてはいけないよ
それが何なのかぼくに訊いたらいけない
それが何かぼくに訊いたらだめだ


それはぼくが不器用だからか?
ぼくは大きな声で語らないようにしている
それはきっとぼくが気違いだからだろう
ぼくはプライドを見せないように用心して行動するのだ


奴等はきみが泣くまで殴り続けることだろう
そして後できみは何故かと問う
でもきみはもうこれ以上議論しなくていい
きみはこれ以上言わなくていい
きみはこれ以上言い争わなくていい


そうぼくならOKさ
ぼくはもう一度ドアを抜けていくよ
きみがぼくに何を訊こうと
もうきみが関ずりあう問題ではないと
ぼくはきっと独りでいたいのだろうと思う
何も壊されず何も投げつけられずに


でもぼくがどんなだったのかは 訊かないで
ぼくがどんな風にいたのかは 訊かないで
ぼくがどうしていたのかは 訊かないで


ぼくの名前はルカ
ぼくは二階に住んでいる
ぼくはきみの上に住んでいる
そうきっときみはぼくの事を見ているはず


深夜にきみは物音を聞く
何か災いか何か争い事か
でもそれが何か ぼくに訊いたらだめだ
何だったのか 訊いたらだめだ
何があったのかは ぼくに訊かないで


そして彼等はきみが泣くまで殴りつけることだろう
その後にきみは何故だか問わない
きみはもう言い争いしなくてよい
きみはもう争わなくてよいから
もう言い争いしないでよい



3.
歌は時折反復する。全く無意味に無根拠に突然反復するものだ。気がついたらもうそれは反復している。音楽が、あるいは歌が何故反復するのか。きっとその意味も問うてはいけない。というかそれは問うたら何かが壊れるといった類の経験だろうか。そんな気がする。

半身を起き上がると、横には掃除のおじさんがモップをかけている。イタリア系かスペイン系かといった感じのおじさんだった。

大きく外に面しているウインドウからは灰色の光が入り込んでいた。そこは分厚く頑丈なガラスによって外の冷気と中の室温は安全に隔てられているのがわかる。空港の朝なのである。胃の辺りを触ってみると、かすかに昨夜ももたれていた感触はあるみたいだ。でもそれほどでもない。昨夜最後に食べていたものは売店で焼いていたNY名物のベーグルである。事態は決して酷くはならなかった。硬く弱冠は緩くしかしひんやりともした空港の朝を体感した。

24-4

1.
飯塚くんが言った。

「だから今では。。。アナーキスト系の社会学には、TAZという概念がありますよ。」

「タズ・・・なんだいそりゃ?」

「Temporaly Autonomie Zone、−−−という意味ですね。」

「なるほど。だから自律的に出来上がる自由の空間は、常に時間的だと自覚せよということか」

「なかなかそれはうまい言い方なんじゃないの?」

「まー、一つの場所から横にずれていくタイミングは、目に見えない合図を読み取るということでもあるなあ」

「空間にも生き死にがあるということだね。大抵の空間は一時期盛り上がった時期があるとしても、そこから死んでいく。再び無機的な状態に、あるいはもう気の抜けたような惰性的状態に、戻っていく。」

「それが普通でしょ。だからやっぱり問題は左翼ということに限らない。そこを訪れる主体の方の問題だよ。」



2.
そこからしばらく話は飛んで、革命書店でいささかシビアな議題というのは、微妙な痕跡を残しながらも薄れていった。その後何を話したかというと、日本人がアメリカで暮らすようになるためには、どのくらい法的な手続きが必要かという話だったと思う。村田さんはここ数年のうちで、自分がどんなことをやり繰りして今のブルックリン生活に至ったかということを僕らに話してくれた。

「もちろん普通のビザでアメリカに入国するとは違うから。生活することを目的にアメリカに来るのはそれなりにハードルがあるのよ」

村田さんは元気に、ちょっとした打ち明け話でも言うかのように自分の内側にあったことを自由に話してくれているようだった。最初に深夜のブルックリンのフライドチキンの店で連絡をとり迎えに来てもらったときからは、もうモードが全く逆転していた。一定根が楽観的な女性でないとアメリカに移住とか大胆な思いつきは実現しなかったのではないかと思わせた。

「永住権というのはどうなの?」

「それはグリーンカードでしょ」



3.
グリーンカードは企業が身分を保障してくれるか先にアメリカに住んでる家族が保障してくれるかでないと出ないわね。それか本人によっぽど優秀な職能があると証明できる場合。ビザには、アメリカに在住できるランクとして幾つか区分けがあるのよ」

「まー、溢れ出る移民を制限したい国なんだから条件はいろいろあるだろうね」

「私はアメリカで労働して生活する権利のビザをまずもらったのよ。最初に移住の許可をもらうには貯金が300万円以上とか条件がちゃんとあってね」

「貯金が300万以上あったの?」

「それはすごいな。さすがだね」

「ははは。村田さんはまじめに日本で看護婦勤務の労働者やってたもんね」

究極さんが笑いながら彼女を弁護するように言った。

「なんだー、村田さんはやっぱ真面目なんだなー。」
「でもそれなりに、やっぱりアメリカの移住というのはハードル高いんだな。それだといい加減な気持ちでポンとアメリカに住みに来るというわけにはいかないからなあ」

「現実には、だから違法でアメリカに居着いちゃうという外国人がとても多いわけでしょう。」

「それはアメリカにとって建国以来昔からだね」

「いや。単に住む国を自分の意志で決めようというにも、生半可な覚悟でできないことはよくわかったよ」

「決断力がある女であることはわかったよ」

「でも決断の対象は何かというと。。。ずっと曖昧でもやもやしてるだけなんだけどね」

「いや。決断というのはそれでいいんだよ。むしろそっちのほうがいいかもしれない」



4.
そんなこんなを話しながら、革命書店のひと時を終えて、村田さんと飯塚くんとは別れたものだった。その後また翌日にも僕らは簡単に会えるだろうと思っていたのだが、結局あの革命書店が最後になってしまった。僕らがソファで飲み散らかしていたものをそそくさと片づけ、席をたち、店のドアを出て行くとき、村田さんは自分の大きな帽子を目深に被った。帽子を室内で脱いで話している時の村田さんと、外に出て冷たい風の中を切ってあるくためにコートと帽子を再び深く身につけた村田さんとでは、またイメージの濃淡に明らかに違いがあるようだった。しかし防寒のものを重く身に巻いた村田さんでも奥から元気のあるオーラが出ていて目が笑っているのはビームのようにこちら側まで伝わってくるようで、彼女の隣に立っていることはそれだけで暖かくなってくるようだった。外はまだ明るいが空気は真に冷たいことはわかっている。帽子を被った村田さんに、ドアを出る時にふりむき声をかけた。

「あっ。なんか村田さん。その感じ、スザンヌ・ヴェガに似ているよ」

村田さんはニコニコしながら立ち止まって答えた。

「えっ。スザンヌ・ヴェガに?」

僕らはそうしてチェルシーの一角の裏通りから抜けて、人が大量に流れ行き来している方向へと出て行った。